「タモリさん、すみません、日本語は変わりました」
タレントというよりは、日本を代表する知識人の一人であるタモリこと森田
一義氏は、「日本語の変化」に苛立ちを見せ、「ごはんとか食べて」「カツ丼
になります」に痛烈なダメ出しをしたそうです。
具体的には、2月18日に放送されたラジオの特別番組『タモリのオールナ
イトニッポン』(ニッポン放送)で、現代の言葉遣いへの苛立ちを語ったそう
です。
まず、「ごはん “とか” 食べて」という表現には、「“とか” ってことは、ほ
かにも何かあるということ。関連させることを言え」とダメ出しをしたそうで
す。
この「とか」の意味ですが、確かに日本語の「正統」と言いますか、いわゆ
る20世紀末のアナウンサー用語的なスタンダードから見れば、「選択肢が複
数ある」という意味に取れる、そんな用法に聞こえます。
具体的には、来客があり、そろそろ夕飯の時間になったとして、「ご飯とか
食べる?」という発言が出たとします。この場合は、「ウチでご飯でも食べて
いく?」「それとも、どこか一緒に外食に行く?」「いっそまず酒かな?」
「それとも風呂?」「いやいや、あなたは家族が大事だからご飯は自分の家に
帰って食べなさいよ」などといった複数の選択肢がある場合に聞こえます。
ですが、近年の日本語におけるご飯「とか」の「とか」は違うのです。
話者の方からは、
「自分はあなたを大切にしたい、もてなしたい、真剣にご飯を食べていって欲
しい」
「でも押し付けがましいのは失礼だし、もしかしたら気分を害するかもしれな
い」
「中には過剰な善意に対しては、返礼のプレッシャーに潰されそうだからかえ
って最初の善意に反感を持つなどという面倒な人も増えてきた」
という心理的な計算が働くわけです。だから「ご飯を食べていきませんか」
という勧誘の表現であっても、可能な限り「主張をソフトにボカす」ことで、
丁寧さを出さねばならないのです。
そこで出てきたのが、「じゃあ、ご飯という主題をボカしてしまおう」とい
う発想です。それが「ご飯『とか』」という表現になってきているわけです。
比較してみましょう。「ご飯を食べていきませんか?」「ご飯『とか』食べ
ていきませんか?」と並べてみると、やはり後者のほうがソフトであり、人に
よっては好感を持つというわけです。
もう一つ、「なります」というのも背景には複雑なメカニズムがあるようで
す。(続く)
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