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佐々木俊尚の未来地図レポート 2023.2.27 Vol.744
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【今週のコンテンツ】
特集
AIだけで文化を創造し、それを私たちは楽しめるようになるだろうか
〜〜〜ジェネレーティブAIの現状と可能性を文化の側面から考える
未来地図キュレーション
佐々木俊尚からひとこと
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■特集
AIだけで文化を創造し、それを私たちは楽しめるようになるだろうか
〜〜〜ジェネレーティブAIの現状と可能性を文化の側面から考える
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画像生成AIや対話型AIなど、総称してジェネレーティブAI(生成型人工知能)と呼ばれるAIが爆発的な進化を遂げており、世界が震撼しています。この先の未来に、文化やコンテンツはどう変わっていくのでしょうか。AIがすべてを生成し人間はそれを消費するだけになっていくのか、それとも。
ここで論点として考えられるのは、二点あると思います。
(1)文化空間をAIだけで創造することが可能になるのかどうか。
(2)「AIが生成した」と知ったうえでもわれわれはその文化を楽しめるのか。
まず(1)について。
わたしはマス市場向けの暇つぶしコンテンツについては、AIが生成したものでも十分ということになる可能性は高いと思っています。
しかしまったく新しい世界観をもった革新的な作品は、今後も人間の手によって切りひらかれていくことになるだろうとも考えています。藤井聡太さんがAIによって将棋の指し手を進化させたように、文化の分野でもジェネレーティブAIによる支援はとても有効なパワーとなるでしょう。
とはいえ、わたしがここで気になってくるのは「文化のすそ野」の問題です。たとえば漫画の世界で言えば、「SLAM DUNK」や「進撃の巨人」のような天才による革新的な作品が存在します。しかし井上雄彦さんや諫山創さんは何もないところから突然現れたわけではありません。
日本の漫画には長い歴史があり、膨大な数の漫画家がいて、その中から切磋琢磨して才能が現れてくるのです。それは富士山の広いすそ野のようなものであって、一般社会の人々の視界に入るのは雪を被った美しい富士の高嶺だけれども、その下の方には多様な木々に彩られた森が広大に広がっているのです。
この構図は、わたしがかつて仕事をしていた雑誌ジャーナリズムの世界もそうでした。頂点には月刊文藝春秋などの総合誌に長いルポを書く仕事があり、原稿料や経費は豊かで、知名度も上がります。しかしそこにいきなり到達できる人はめったにいません。たいていは少部数の雑誌や下請けの編集プロダクション、さらには成人雑誌の白黒ページなどで下積みの仕事を重ね、そこからだんだんとステップアップしていく。そうういうすそ野があったのです。
つまり文化には、「上澄みとしての頂点」と「玉石混淆のすそ野」がある。その二つが存在してこそ、良い文化が生み出されるのです。
この「すそ野」がAIに明け渡されたときに、果たして人間は「上澄み」を生み出せるのでしょうか? ここはひとつの論点となるとわたしは考えています。
続いて(2)「AIが生成した」と知ったうえでもわれわれはその文化を楽しめるのか、ということについて。
たとえば将棋や囲碁の世界では、すでにAIが人間の能力を凌駕しています。しかしそれでも私たちは、藤井聡太さんと羽生善治さんの王将戦を夢中で観戦するのです。なぜか。それは藤井さんにも羽生さんにも、それぞれの人生の物語があり、そうした背景の物語を知ったうえで私たちは王将戦というコンテンツを楽しんでいるから。
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