「130号」
小西昭生のアクエリアスの時代を「明るく軽やかに生きる法」
~神の手ほどき~
2023年3月16日号
第130号:「明想と実在(神我)の関係」
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目次
【まえがき】このメルマガについて
1.明想の目的を問い直す
2.言語・思想・思念は実在にあらず
3.生き生きとして・みずみずしくあるもの
4.まとめ
【あとがき】
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《今回のフォーカス》
今回のテーマは、「明想と実在(神我)の関係」です。
皆さんの日常生活は、全て本当に起きていることだと思っている人が大半です。
見ることが出来るし触れることが出来るから、五感の感覚は実在だと感じてしまう。
人間の肉体は、永遠ということは無いですね。肉体は、いつかは必ず滅びますから、実在ではありません。
「思想や信条・言葉や観念など」は、肉体の消滅と共に、消えてしまう。
見えるもの・触れることが出来るものも、何一つ実在しません。
人間から、「思想や信条・言葉や観念など」を取り除いたら、どうなるのか考えたことがありますか?
実は、それが、実在を把握する第一段階なのです。言葉や思考を失って植物人間になることではありません。
「思想や信条・言葉や観念など」を取り除く作業が、明想です。
「思想や信条・言葉や観念など」を取り除く作業が達成されれば、即、悟りです。
悟りへの到達は、人間が一生かかって成し遂げなければならない一大事業です。
なぜなら、鈍重な肉体は悟りへ到達する親切な障害物です。
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