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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第509号2023.2.28配信分
●素朴かつ心情に訴える署名活動ではあるけれど……
このところ近所の最寄り駅の駅前でしきりと署名を求める人々の
群れに出くわす。何でも、自宅から駅に向かう道すがらに存在する
市立小学校が廃校の危機に瀕している。町田市が計画している数10
の廃校があるとのことで、その内のひとつがすぐそこにある。
慣れ親しんだ学校が無くなるのは忍びない。なんとかして存続さ
せたいという、実に素朴かつ心情に訴える署名活動であり、気持ち
は分からないではない。しかし、時代は常に変化するものだという
視点は重要だ。
明治維新の文明開化=(西欧流の)近代化以来、日本の総人口は
ほぼ一本調子に増加して行った。幕末の約3400万人から明治の富国
強兵/殖産興業を経て日清、日露の対外戦争に勝利し、第一次世界
大戦では連合国に列したが、1937年(昭和12年)に始まる日中戦争
から対英米への宣戦布告による第二次世界大戦東洋版=太平洋戦争
終結の1945年(昭和20年)には約7000万人まで増加している。
日本の対外戦初の敗戦は、それ以前と以後の歴史がほとんど噛み
合わない事態を招いた。主に占領統治をおこなったGHQ(連合国
軍最高司令官総司令部)の主体となったアメリカ軍が徹底した政策
は、強力を極めた日本を二度と軍事大国化させないことに集中し、
政府を縛る『憲法』を平和主義の下に置くことで再起不能とする。
長期にわたって戦禍に塗れることがなかった結果として、平和が保
たれ、軍事に不要なコストを支払わずに済んだ。
戦争は、正義と正義の衝突の結果だ。それぞれに言い分があり、
一方が確実に負い目を感じる争い事ならば戦争に陥ることはない。
対外戦の場合、敗戦国は当然恨みを抱くことになるから、報復戦へ
の備えは、戦勝国の常識だとされている。
極東に位置する島国の日本は、江戸幕末の混乱期に薩英戦争(薩
摩藩vs大英帝国=1863年)や下関戦争(長州藩vs英・仏・蘭・米列
強4国=1862・1864年の二度)で欧米近代と戦ったことを例外に、
他国との間に戦乱を引き起こしたことがない。中世の長期にわたる
鎖国政策もあって、深く外国と交わることをしなかった。
私は、欧米諸国が遥々海を越えてやって来て戦端を開いた背景に
思いを馳せることがある。1850年代に日本全国で頻発した巨大地震
(有名なのは安政の東海/南海地震:1854年12月24/25日、1855年
11月11日の安政江戸地震)があったのではないか。
その混乱に乗じて救援を装いつつ、植民地化の可能性を模索した
とのでは?と考えるのがノーマルだと思っている。アジアを植民地
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