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渡辺勝幸の日本一元気になるメールマガジン
第4567号 令和5年3月17日(金)発行
発行部数 11,469 部
【それぞれの持前とは、国の持前とは】
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【それぞれの持前とは、国の持前とは】
「形を践む」とは、
本編首章の「心を尽す」と意味がほぼ等しいのです。
「心を尽す」とは、心の力をすべて出し尽すことであり、
「形を践む」とは、形の持っている力をすべて使うことです。
「形」とは、耳・目・口・鼻・両手足の類であります。
そのうち、耳は善悪を聞き分けることが持前であり、
目は善悪を見分けることが持前であります。
口・鼻・両手足にも、それぞれみな持前があります。
この持前を使わないことは凡人の常であります。
もしこの持前をすべて使い尽すものがあるならば、
それは聖人であります。
かつ「形を践む」と「心を尽す」とは、
一は外、一は内、
別々のことのように思われますが、
実は二つのことではありません。
それはそれとして、造化の霊妙なること、
以上を観察するならば、実に驚くべきものがあります。
「万物皆我に備わる」という問題も、良知・良能ということも、
性善ということも、すべてこれによって理解することができます。
人々が、自分の持前を使うならば聖人であって、
それには別に口伝も秘訣もないことであり、
これは何とすばらしいことではないか。
わたくしは、常に次のように思っています。
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