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佐々木俊尚の未来地図レポート 2023.3.20 Vol.747
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http://www.pressa.jp/
【今週のコンテンツ】
特集
コンテンツとコンテキストの関係から、生成型AIと人類の未来を考える
〜〜〜クラシック音楽はコンテキストなしには市場が成立しなくなった
未来地図キュレーション
佐々木俊尚からひとこと
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■特集
コンテンツとコンテキストの関係から、生成型AIと人類の未来を考える
〜〜〜クラシック音楽はコンテキストなしには市場が成立しなくなった
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ジェネレーティブAI(生成型人工知能)が急激に進化し、画像や動画のみならず小説や記事などさまざまなコンテンツが生成できるようになってきました。いずれは人間に近いレベルの作品が登場してくるでしょう。このテーマについて本メルマガは、744号の「AIだけで文化を創造し、それを私たちは楽しめるようになるだろうか」で論考しました。
★AIだけで文化を創造し、それを私たちは楽しめるようになるだろうか 佐々木俊尚の未来地図レポート Vol.744
https://note.com/sasakitoshinao/n/nf0e5fc1dae97
今回はこのテーマについて、「コンテキスト」の面から考えてみたいと思います。
コンテンツとコンテキストはつねに一体として語られます。コンテンツが作品そのものであるのに対して、コンテキストは、その作品が持っている背景事情や文脈のことを指します。コンテキストはコンテンツに付随する、副次的なものと考えられがちですが、必ずしもそうではありません。
たとえば有名タレントが書いた本なら、その本の中身そのもの(コンテンツ)よりも、そのタレントの知名度や愛され度(コンテキスト)によって売れ行きが大きく変わる。コンテキストがコンテンツを上回っています。そしてこれは例外的なケースではありません。出版不況が長く続き、読書を純粋に楽しむよりは何らかのツールとして本を読む(たとえば自己啓発目的、あるいは推し活の一環など)という行為が普通になっている現状では、コンテキストがコンテンツを上回っているのが常態と言えそうです。
だいぶ以前の話ですが、2011年にウォルター・アイザックソンによる伝記「スティーブ・ジョブズ」が日本でも爆発的なベストセラーになった時、ひとりの書店員の方が「今日、うちの本屋に『電気の人の本を買いたいんだけど』と言ってきたおばあさんがいた。聞いてみるとどうもジョブズの本らしかった」という趣旨の投稿をされていたのを覚えています。電気の人の本! これもまさにコンテキストのみで本が買われているケースでしょう。
かなり古い2011年の記事で恐縮ですが、在米ジャーナリスト冷泉彰彦さんがこのコンテキストの問題を取りあげています。
★「フジ子・ヘミング現象」の何が問題なのか?
http://bit.ly/1lKnM0i
フジコ・ヘミングさんは1932年生まれで、長くヨーロッパで生活されていたピアニスト。1995年に帰国されたのですが、1999年にNHKのドキュメンタリ番組で取りあげられたのをきっかけににわかに全国的なブームが沸き起こり、デビューアルバムの『奇蹟のカンパネラ』はクラシックでは異例の30万枚セールスとなりました。
フジコ・ヘミングさんの人気について、冷泉さんはこう書いています。
「無国籍者として貧困と孤独の半生を送ったとか、今も天涯孤独でネコ9匹と暮らしているといった、音楽と無関係なファンタジックな人生物語が付随している、その点をバカにする人も多いようです。ですが、そもそもクラシックの音楽というのは過剰なまでの情報量を持っていて、何らかの人生観なり世界観に絡めて理解しないと受け止められない性質があるわけです」
「そう考えると、ピアニストのキャラクターに興味を持つことから音楽に親しみを持つというのは、一種の必然とも言えます。その点で言えば『ブレンデル引退コンサートに巨匠の人生が凝縮されている』とか、『革命と恋に生きたショパン』などという音楽ファンの言い方にしても、人生物語のファンタジーということでは変わらないように思うのです」
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