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昨日、入学して35年目にして初めて京都大学の卒業式を堪能し、卒業式の意味を改めて実感を持って感じ入りました。

藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~
昨日は京都大学の卒業式。大学という組織は、所謂4年制の「大学」と、二年間の「大学院・修士課程」、そして、その後の「大学院・博士課程」の三つの課程で構成されているのですが、それぞれの課程の卒業証書、修了証書を授与する儀式・セレモニーが昨日執り行われたわけです。 当方が大学を卒業した平成三年、修士を終了した平成五年当時、卒業式なる儀式に二十歳を超えた大人がわざわざ出なくても良いだろう、ましてや親を連れてくるなんてあり得ないだろう、という風潮があり、当方実は、どちらも参加しておりません。 そんなものより、一回一回、一晩一晩の遊びの方がもっと大切で、卒業証書や修了証書なぞというものは、机の上に助手の先生が取り敢えず置いておいてくれるモノだ、という風に思っていました。 で、卒業後、教員になってからは、研究室の学生の追い出しコンパは盛大に行うものの、卒業式のセレモニー当日については一部学科の卒業生に証書を渡したり、予餞会に出席したり等はあるものの、それ以上の参加はありませんでした。 ところが昨日は、京大のシンボルである時計台の前の広場で、研究室の学生さんたちと、京大の卒業アルバムに載せるとために最後の記念写真をとろうという事になり、京大入学から35年にして初めて、卒業式の日に時計台前広場に赴くことになりました。 で、時計台前広場に行ってみると、スーツ姿の男子学生達や、振り袖や袴姿の女子学生達が、こんな人だかり、京大キャンパスで見た事無いっていうくらいの密度でぎゅうぎゅうに集まっているのです。 なんでこんなに人がいるんだ!?と思いながら、そうかそうか、今日は卒業式の日だったな、などと考えながら学生達を見ていると、なんだか変なコスプレしてる学生達がポツポツいます。

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