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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第510号2023.3.7配信分
●『時の移ろい』を的確に語ろうと思う
『日本一話』を続ける。この場合分水嶺は1989年1月7日だった
と思う。昭和天皇の崩御が、昭和から平成へと元号を切り替えた。
小渕恵三内閣官房長官(当時)が色紙を掲げて「平成おじさん」と
呼ばれたのが34年前。それに比べると菅義偉(すがよしひで)官房
長官の「令和おじさん」とは呼ばれることはなく印象が薄い。何故
だろう?単なる印象の違いだろうが、不思議な感じがする。
小渕氏は総理大臣在任中に病に倒れ(脳梗塞)62歳の若さでこの
世を去っている。一方の菅氏は第二次安倍晋三内閣(7年9ヶ月)
で官房長官を勤めつつ「令和」の改元を仕切り、安倍氏の持病再発
による急な退陣を受ける形で総理大臣の大役を引き継いだ。
菅氏は就任当時72歳。若いとは言えないが仕事はできた。コロナ
禍の在任期間は1年余り(2020年9月16日~2021年10月4日)に止
まったが、この間の業績に対する評価は高い。新型コロナ用として
注目されたmRNA(メッセンジャーアールエヌエー)ワクチンの
調達や、1年の延期を経て2度目(それも基本無観客)となる東京
オリンピック開催など、首班として果たした国政実務は少なくない。
キャラクターが国政のリーダーとして”華”を欠いたのは事実だ
が、地味で朴訥とした印象に違わず問題を先送りすることなく解決
に邁進した。政治は結果責任という視点で評価すれば合格点をあげ
られる。このことは正当に評価されるべきだろう。
小渕氏の首相在任期間は1998年7月30日~2000年4月5日。2年
弱の舵取りで印象に残るものは思い浮かばないが、世紀末が10年前
(昭和末年)に負けず劣らず波乱に満ちていた。そこからさらに20
年あまりの現在。混迷は一層の深まりを見せており、世界がより複
雑に絡み合い緊密になったのは間違いない。
『時の移ろい』を的確に語るには相応のキャリアが必要だ。重要な
のは俯瞰の目で振り返る姿勢で、場数を踏んだ量の多さと経験の質
が求められる。
振り返るとそれぞれ節目だったと気づかされることが少なくない。
ジャーナリスティックな視点を持つことが不可欠だと思い知る今日
この頃だ。メディアには可能な限り一次情報に接して、周囲の雑音
に惑わされることなく自分の頭で考えて伝えることが求められる。
気がつけば、私も古希70歳。自分なりに身体を張り、頭を使って
きた積りだが、分からないことばかり。ここまで時代が進んでくる
と、肝腎なことは報じてこれなかった思いばかりが残る。傍観者の
立場に置かれることが圧倒的に多かった。そんな言葉遣いが相応し
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