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【死んでも書きたい話】 拘束長すぎてアラブを罵倒

安田純平の死んでも書きたい話
いつもありがとうございます。 今回は日記の2016年6月15~20日です。 よろしくお願いいたします。 【2016年6月15日(水曜日)】 夜中眠れずアザーンまで聞いてしまう。ラマダンだし4:00ころ?そこから眠るから起きたら11:00、12:00でもおかしくないのか? 今さら色んな後悔が出てくるが、今までの人生がなければシリアもやっていないし、トラック野郎・藤本さんの本もおくの本もやっていない。結婚していなかったらもっと取材できてたかもしれんが、どう生活していたか?結局金なくてできてない可能性も。とりあえずバイトする決心もつかなかったかも。 日常に高揚があっても仕事に熱中するのは当たり前。別に紛争地へ行くのは異常ではない。仕事の一つに過ぎない。なぜ紛争地なのかという自問をしなくなってたのは確かだが、なぜその仕事を、そのテーマをというのはどの人もどの仕事でも問われること。紛争地は疑問に思う人が多いから説明できる必要があるが。 難民は社会そのものを失ってしまっている状態。悲惨な姿しか見られないだろう。難民キャンプも立派な街になっていくのだが。それよりも踏みとどまってなんとかしようとしている人々をオレはみたい。前線なんて不要とかいうのはアホの言うことだ。 時間不明。自称イエメン人のアブドゥルに似た(マ)が来る。ヨーグルトのみ。夜中スイカのにおいがしたのにもう来ないか?NHK、Tokyo Eye。「ビストロ たま」のオムレツ。二子玉川。河川敷で育ったポップでホップで作ったビールの話。NHK、舛添が辞任。金がらみではどうにもなるまい。アルジャジーラ、アレッポの戦闘で70人死亡。武装組織あハラルシャムの司令官で2012年からの知り合いであるザカリヤは大丈夫か? 21:30、(マ)。ホブス求めたら了解したくせになし。サラダのみ。茶もOKしたのに来ない。今の現場監督の虐待野郎が拒否したのだろう。 【2016年6月16日(木曜日)】 夜中から風が強い。山だと風があってよい。 日本人のお上意識はいつどこから始まったのか?江戸時代は百姓一揆などがかなりあり、お上が良くしてくれるなんて意識を人々が持っていたとは思えない。やはり明治以降、天皇を上に掲げた政府ができたところからか。その辺りの勉強しっかりしたい。 サラダを朝に残すと発酵しているのか変な味がする。腹痛い。夜にサラダしか来ないと大変なことになる。無理してでも夜に全て食うべきか。そのためにもホブス(アラブのパン)は確保しないと。ダメになったら捨てれば良いか?日本人的には抵抗あるが。 自分を否定する作業を表現しても、また覚悟がどうの言うやつが出るだけ。いかにそこまで追い込まれる状況か表現しないと。いままで紛争地取材というよりイラク取材をしていただけか。イラク戦争をきっかけに、04年の件からずっと引っかかってきた。シリアもその流れ。日本が関わる戦争に日本人として、記者としてどう関わるか、関わり続けるか考えて現場を選んだ。戦争に限らず困難な状況でどう人が生きているのか知りたい。人間の強さ、弱さを見たい、知りたいというのは、もとからの関心。湾岸戦争のゲームのようなバグダッド上空の映像でもそう思った。 社会があるから、人はその一部になる役割分担をすることで生きている。では、個々の人間の能力はどうなったか?特化した能力をそれぞれが伸ばすことで、役割を担い、その分野を発展させてきた。しかし個々はいびつな生き物になっていった。瓦礫の山から社会を作り直すような、新しいものをつくる人間の姿を見たい。 子どものころは山や森、川や沼で遊んでた。それがなくなり、スポーツや勉強、ファミコンが発売されてゲームの世界に入った。自分を見失っていった。決められた世界の中にどう適応してくいくかになった。順位が決まっていて、上下という関係ができる世界。ルールや価値観が決まっている世界。世間一般の価値観をどう理解し、身につけるかを無意識にやっていたのではないか。自分自身の価値観、感性を取り戻す作業を意識していたはず。周りの世界との自分の関わりを自分なりに理解すること。把握すること。 自分が自分を失ったきっかけである自然、山や林、沼、川の喪失、管理された世界に知らず知らずどっぷり染まって浸かっていたことを知った。これが学生のころのこと。 自分で生きている世界がどう変わっていくのか。自分の立ち位置をどうするのか。変わってしまう前に、そのことを認識すべきでないのか。社会、世界が変わっていく前にそのことを知る方がよいし、それに対する立ち位置を自分で考えて決めたい。そのこと自体を仕事にできるのが記者の仕事だろう。 山や森が消えたこと意識したのはユーコン川に川下りに行った帰りに成田空港付近の山がゴルフ場だらけで、まるで芋虫がのたくって山をむさぼってるかのように見えて気持ち悪くなったときだった。そのころ椎名誠とか野田知佑とか読んでいた。自然関係の本も。ユーコン川に行ったのは「社会」ではない「自分だけの世界」に憧れたから。実際はいろいろな道具や食料を持っていくわけで、社会を持っていくだけだが、自分だけになる世界があった。 大学時代のゼミの湊先生から学んだことは、人間は分からないものということ。分かった気になってはいけないということ。勝手にオレが感じたことだが。ある意味、スパッと切り取る作業である記者の仕事とは真逆な部分もあり、その怖さを感じながら記事を書くという姿勢を学んだと思っている。それもいつか忘れてしまっていたのではないか?ゼミ同期など探して話聞くか?認知心理はこれはこうとスパッと切るが、実際の人間はそんなに割り切れるものなのか。 18:30頃電気。1時間ついたところで消える。IS、3200人の女性ヤジディ教徒を拘束。数千人行方不明。21:00電気で(マ)がまたいんげんとトマト煮。「フロは」「んー。明日」という。今日と言えば今日も可能だったのか?(マ)が決める?

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  • 安田純平の死んでも書きたい話
  • ジャーナリスト安田純平が現場で見たり聞いたりした話を書いていきます。まずは、シリアで人質にされていた3年4カ月間やその後のことを、獄中でしたためた日記などをもとに綴っていきます。
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