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【Vol.476】冷泉彰彦のプリンストン通信『岸田夫人を米国派遣? どうする配偶者外交?』

冷泉彰彦のプリンストン通信
「追悼、坂本龍一氏」  団塊世代でも下の方に属し、自分たちにとってはほぼ同時代を生きた世代の 訃報というのは、かなり辛いものがある。坂本氏に関しては、かねてより難し い闘病の中におられると聞いており、一種の心の準備は出来ていた方も多いと 思われるが、実際に訃に接するとなると、やはり痛苦の思いが募る。  坂本氏に関しては、2010年10月の北米ツアー、その名も「ノース・ア メリカ・ツアー」に際して、フィラデルフィア近郊のレンサイドという小さな 街にある、ケズウィック・シアターで、ツアーのスタートの場に立ち会うこと ができた。その際に記した記録をベースに、それをこのコラムに合うように再 編成しつつ、感慨を整理させていただこうと思う。  この全米ツアー初日だが、私の住むニュージャージー中部からも近いので、 このコンサートを選んだのだったが、そのチョイスは正解だった。ホールは、 82年の歴史のある音響効果の素晴らしい劇場であり、そこに多くの音楽ファ ンが詰めかけており、良い雰囲気のコンサートとなっていたからだった。何と いっても、アメリカの音楽コンサートでこんなに聴衆が集中していたというの は珍しい。  ニューヨークの、カーネギーホールやエブリー・フィッシャーホール(現、 デビト・ゲフィン・ホール)などでは、かなり厳粛なクラシックの曲目でも、 咳の音だけでなく話し声やプログラムをめくる音などのノイズは諦めて掛から ないといけないのだが、この時は、そうした問題はなかった。途中ちょっと、 外部のサイレンの音が聞こえたりもしたのだが、それはご愛敬というものだろ う。  私は坂本龍一氏のそれほど熱心な聞き手ではなかったが、このコラムでも取 り上げた亡くなった浅川マキさんの伝説のライブ盤『灯ともし頃』でオルガン を弾いておられた印象や、大貫妙子さんのソロ・デビュー・アルバム『グレ イ・スカイズ』でスタインウェイのピアノを駆使していた印象は鮮烈なものと して記憶していた。  一方で、その後の作曲家として、あるいはテクノポップやロックでの成功な どについては、少し遠くから見ていた観がある。そうではあるのだが、ほぼ完 全な「ピアノ・ソロ」でまとめられたこの時のコンサート体験は、ダイレクト に70年代の天才キーボードプレーヤー坂本龍一との出会いを想起させ、30 年以上の歳月を結びつけてくれたようにも思ったのは事実だった。  個人的な感慨はともかく、コンサート自体には大変にビックリしたというの が正直なところであった。キーボード奏者として70年代に同氏が見せていた 素晴らしさには磨きがかかり、自作と言うことを越えてとにかく圧倒的なピア ノだったからだ。『灯ともし頃』のオルガンに見られた確信に満ちた長音の表 現はグランドピアノでも同じであったし、『グレイ・スカイズ』の確信に満ち たリズムは、この時の自作でもより研ぎ澄まされたように聞こえたからだ。そ れ以前の問題として、キーボード奏者いやピアニストとして、坂本氏のメカニ ックや表現は卓越していた。  曲にも驚かされた。(以下略)

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  • アメリカ北東部のプリンストンからの「定点観測」です。テーマは2つ、 「アメリカでの文脈」をお伝えする。 「日本を少し離れて」見つめる。 この2つを内に秘めながら、政治経済からエンタメ、スポーツ、コミュニケーション論まで多角的な情報をお届けします。 定点観測を名乗る以上、できるだけブレのないディスカッションを続けていきたいと考えます。そのためにも、私に質問のある方はメルマガに記載のアドレスにご返信ください。メルマガ内公開でお答えしてゆきます。但し、必ずしも全ての質問に答えられるわけではありませんのでご了承ください。
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