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「小島嵩弘のパウダールーム」(2023年 4月 19日 第 616号)
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2023.4/19
最近のワタシ。
●4/12(水)巨人対阪神 野球観戦(東京ドーム)
中学時代からの友達、神澤くんに誘ってもらって久しぶりに東京ドームへ野球観戦に行った。
ここ最近野球ファンを公言しているけど、やっと毎日プロ野球ニュースを3~4年見続けて、
選手の事がある程度だけど分かる様になって来た。
小学生の時野球を始め、才能がないことにいち早く気づいた。
でも足がやけに早かったり、運動神経が飛び抜けていたので、そのまま何となくやっていた。
中学での受験地獄を脱し、ここからいよいよ遊びまくろうと思っていた矢先、
入学した中学で親戚が野球部に所属していたのがきっかけで、そのまま野球部に入る事になった。
野球部は受験地獄なんて屁の河童なほどの大地獄で、中学受験地獄がぬるま湯に感じるほどだった。
まさにキツイ野球部地獄巡りを3年間もすることになってしまう。
今になって思えば、オレの人生は怖い人との縁が深い。
小学生時代通っていた塾の先生も相当に怖かった。授業中は両手を膝の上に置き、
先生の言葉に耳を傾けると言うスタイルだった。
小学生ながら昔の寺子屋ってこんな感じだろって思っていた。
その先生から解放されたと思ったら今度は、中学野球部の顧問が鬼で言うところの角3本、
お不動様のように牙が上下に飛び出ていた様な人だった。
練習はきつい、指導はここでも書けないほどの厳しさがあったり、
夏の練習は地獄そのものだった。
水は飲めない、先輩は厳しい、まぁ時代もあってのことだろうけど、
今では考えられないほどの大地獄巡りだった。
野球が得意ではないオレはいつしか野球部を辞めない事が目標になり、野球なんて大嫌いだった。
中学時代はじっと我慢の笠地蔵。身も凍るほどの3年間だった。
人生で最も厳しく、辛い地獄絵図を見る羽目になった。
でもあれ以来、怖いと思う事がないように思うからあの経験は正解だったかもしれない。
実家がおばあちゃんの原宿「巣鴨」だったので水道橋の後楽園球場に近かった。
だから野球は身近にあった。子供の頃は野球観戦のチケットが手軽に手に入り、
東京ドームの前身、後楽園球場へ行っていた。
夕陽が傾き、そこで食べる母ちゃんの作ってくれたおにぎりを食べるのが何よりの至福で、
夕陽が傾くまで空腹を我慢しておにぎりを食べていた記憶がある。
小学生の時後楽園球場でトイレに入りおしっこをしていると、
ものすごくデカい男の人が入って来たのが、大きな影でわかった。
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