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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第512号2023.3.21配信分
●時代は技術の進歩を追い掛けるように進む
日本におけるモーターレーシングの歴史は、そのままクルマの技
術史と重なる。競技車両=レーシングマシンの変遷とドライバーの
栄枯盛衰は、いずれも歴史という時の流れとともに変化している。
日本が自動車後進国だったのは疑いようがない。事実として戦前
の社会一般にはクルマは普及していなかった。しかし、モータリゼ
ーション元年(1966年=昭和41年)から半世紀50年あまりが過ぎた。
今やグローバル生産台数にしても販売台数にしても、世界中が嫉妬
の目を向けるまでになっている。技術立国で生きると決めてから世
界一の座を掴むまでの時間はけっして短くはなかった。だからとい
うべきだろう、そのプロセスを語るにはそれなりのキャリアが欠か
せない。老いて惚けている暇などないと私が考える理由だ。
時代は技術の進歩に伴って進む。歴史はその後に従う道理だが、
高度経済成長の絶頂から石油危機/G5プラザ合意を経て昭和から
平成と進んだ。そして今は令和5年になる。元号は日本独自の表記
であり、グローバリズムの時代には違和感を覚えることが多いのも
事実だが、日本社会の節目を理解する上では興味深いものがある。
少しマニアックに考えてみよう。たとえば、国内のタイヤ技術史
に焦点を当てるだけでも見えてくる歴史の綾がある。タイヤの技術
的な進歩なしに日本車の高性能化はあり得なかった。あまり考える
人はいないようだが、本質を突く盲点の類ではないだろうか。
我が国は、今や世界一の自動車技術大国となっている。厳然たる
事実だが、それ以前の発展途上段階を知っているのと知らないでは
多分”モノの見方”が決定的に異なる。結果としてある現実を当然
と捉え、そのプロセスに目を向けない。昭和を知らない世代が増え
た社会にありがちな風潮だが、今という時代の大変革期だからこそ
歴史を具(つぶさ)に振り返る態度が必要なのではないだろうか?
第一回日本グランプリ開催は1963年。今から丁度60年前の話だ。
当時私は小学6年生。当然大人の世界は遠く、世の中全体はまるで
見えていない。しかしクルマについては乗り物に興味を抱く男の子
の端くれであり、本能的に感じるものはあった。無関心ではないが
自動車レースは遠い頃合いで、庶民の子の私の視野にはまだ入って
こない段階だ。
●クルマは『道』が創るの真意を知ろう
この時代の日本に『ラジアルタイヤ』という”概念”は一般的で
ない。おっ、と気づいたアナタは鋭いが、今となってはその事実を
認めて考える方が少数派だろう。
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