これらの仕組みは、お金を払うことと受け取ることの区別を可能な限り無くすためにつくった。お金は減ったり増えたりするが、その増減と幸福度は比例しない。いつもと違うお金の流れを体験してもらい、自分が食べなくてもワクワクを感じたり、誰かの笑顔を想像するだけで嬉しくなったり、そんなことが起こるんじゃないかと期待している。そしてお金と違って、経験は決して減ることがない。やればやるほど豊かになる。
昨日から、杉本恭子さんの『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(
https://amzn.to/3MCBQtQ )を読んで、メニューを作りながら読了した。僕が今のような人生を送っているのは京大という空気に4年間触れたからだと確信した。ユニークな大学だと思う。そしてその全貌はもちろん把握し切れない。
本書を読んで、京大で起こってきたうねりのようなものを知ることができた。自分で自分の道を切り拓くというアタリマエのことを疎かにしている人が多いと感じる。そういう時代の中で、京大的なものが極めて大事だと、本書を読んで思う。
僕が鋸南でやろうとしていることは、京大の寮や学生や教職員が「自治を守る」ということに近いのかもしれない。たまたま気に入った町で自由に活動したいと思っているが、「町おこしをしているんですね」という言葉にやや違和感を覚えている。どちらかというと、鋸南という場所から、まともな人生を生きる人を増やすための活動をしている。
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