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渡辺勝幸の日本一元気になるメールマガジン
第4630号 令和5年5月19日(金)発行
発行部数 11,460 部
【よく努力するものだけがついて来る】
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【よく努力するものだけがついて来る】
孟子はこのことばにおいて、
自身を大工の棟梁や弓の名人げいの立場におき、
直接、丑を見下ろして拙工・拙射にすぎぬときめつけています。
大工の棟梁やげいを譬喩に用いたことばは、
告子上篇の末章にもありますが、
彼我の語気の寛猛の違いを比較して、
孟子が丑を怒るにあたり、いかに声も顔色もはげしいものであったかを、
想像するがよいでしょう。
そのなかでも、結末の「能者これに従ふ」、
君子は中庸の道に立って人を教えるので、
よく努力するものだけがついて来る、という一句が、とりわけ烈しい。
思うに、能者の能の字は、
前の二つの拙の字、拙工・拙射に対応して下したものでしょう。
すなわち孟子の心中には、
「わが道はただ能者のみがついて来ることができる。
お前のような拙者、努力しないつまらぬ人間のついて来得ることではない」
と考えていたのです。
想像するに、この日、丑は孟子のこのことばを聞いて、
恐れ入り小さくなるのみで、結局、
孟子の気持を理解することができなかったでしょう。
そしてこれ以後、丑は二度と孟子の門をくぐらなかったかもしれません。
下篇第三十七章に、孔子の
「我が門を過ぎて我が室に入らざるも、
我憾みざるものは、其れ惟郷原か」、
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