「141号」
小西昭生のアクエリアスの時代を「明るく軽やかに生きる法」
~神の手ほどき~
2023年6月15日号
第141号:「明想と日常生活における身口意の関係」
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目次
【まえがき】このメルマガについて
1.「私は神である」という意識
2.明想で神を把握する
3.改めて「神我」を問う
4.まとめ
【あとがき】
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《今回のフォーカス》
今回のテーマは、「明想と日常生活における身口意の関係」です。
既に、暗誦できるほどに「明想」「身口意」「神我」などの単語を目にしていただいていると思います。
今回深堀するのは、これ等の単語のつながりが、具体的に心と魂、及び日常行動にどのように作用しているかを、深く知っていただくためです。
そこには、「神我キリスト」「キリスト神我」すなわち、「私は神であるという意識」が何を意味しているのか、理解されていなければなりません。
理解するのは頭です。だが、神を受け止めるのはハート(胸中)なのです。
この頭とハートのつながりが、分かりにくいのです。言語を超えた理解が要求されるからです。
はじめに、「私は神である」という意識を、頭で確認していただきます。
次に、明想で神を把握するプロセス(頭から胸中へ)を、筆者の体験に基づいて理解を深めていただきます。
更に、改めて「神我」の形成を実感していただきます。
今回は、基礎的なことではありますが、今までのご理解よりも、更に深い理解をしていただけるように、取り組んでまいります。
一部分かりにくいところは、筆者の力量不足ですので、何卒、ご容赦のほど、お願い申し上げます。
皆さんの、神我についての理解が深まれば、誠に幸いです。
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