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「小島嵩弘のパウダールーム」(2023年 5月 24日 第 621号)
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2023.5/24
祝59歳と1日。
オレは1964年5月23日合羽橋の近所、菊屋橋にあった病院で生まれたらしい。
占いとかで生まれた時刻を聞かれることもあるので、一応母ちゃんに聞いたことがある。
”母ちゃん、オレは何時に生まれたの?”
”何時だっけねぇ、もうわかるわけないじゃないの!” だ、そうだ。笑
この手軽さがオレにはちょうど良い。
何処かゆるい感じ、それがオレにはちょうど良い。
YouTubeで「生まれる前の記憶」という動画があって、
”空の上から見ててこのお父さんとお母さんが優しそうだなぁって思って、お母さんのお腹に入ったんだ”
みたいなことを言う子供がいたりする。それも何人も。とても不思議だ。
その同じ事を言う子供が何人もいるという事で、そこに神秘性や信憑性を感じる。
オレ自身が他の人から、こういう話をずっと前に聞いていたことがあったからかもしれない。
それは自分の親は自分で決めるって話だった。
それが本当なのかどうなのか?わからないけど、同じこと言う人がいるのが不思議でならない。
オレが選んだ親だからか?オレにはこのゆるさがちょうど良い。笑
よくこの世に中に生まれたのは課題があるから生まれたとか、
前世での記憶が全部消えてこの世に生まれて来るみたいな話もあったりする。
そう言う話を鵜呑みにするでも、否定的でもどちらでもない。
ただこういう全ての不思議に思っている事の種明かしを逸してくれるんだろうか?と思ったりしてる。
そう、死んだらどこかで種明かしをしてくれるのかな?と思う。
どうして小島家の次男に1964年5月23日に生まれて、明大中野中に入り明治大学に通い、
その中で音楽を目指すようになったり芸事が好きになったりしたのか?
女房との縁とか、歩んできた人生には実は正解の道があったのか?
分岐点で歩いた道はどうだったのか?いつか教えてもらえるのかなぁ?と今でも考える時がある。
考えたってわからない事だ。「袖振り合うのも他生の縁」なんて言い方をするけど、
人生は計り知れない偶然が折り重なって、導かれているような、でも自分で決めたことも多いような・・・。
生きてきた中で人と巡り合い今があったりして、人生とは何とも理解も出来ない不思議なものだとつくづく思う。
これが実は死んだ後、目の前に神様が現れて(会えたと仮定して)
”いやいや、大体はたまたまなのよ。生まれた課題?まぁ、それはね、人それぞれあるかもね。
結婚?縁?たまたまだと思うよ。でもそうは言えないじゃない?この立場だからさ。
それくらい神秘的なベールに包まれていた方が、良くない?怒らないでよ”
みたいな軽いタッチだったら、もう腹を抱えて笑うしかないな。笑
今までそれなりに悩んできたのは何だったんだって。笑
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