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佐々木俊尚の未来地図レポート 2023.6.12 Vol.759
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【今週のコンテンツ】
特集
1960年代の学生運動は、なぜテロリズムに陥ったのかを考察する
〜〜〜テロリストの過剰な物語化は、彼らを「被害者」にしてしまう問題
未来地図キュレーション
佐々木俊尚からひとこと
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■特集
1960年代の学生運動は、なぜテロリズムに陥ったのかを考察する
〜〜〜テロリストの過剰な物語化は、彼らを「被害者」にしてしまう問題
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昨年から今年にかけて、日本の政治リーダーを狙う二つのテロ事件が起きました。昨年七月、安倍晋三元首相が奈良での遊説中に銃撃された暗殺事件。そして今年四月、岸田文雄首相が手製の爆弾で襲撃された事件。
とくに安倍元首相暗殺事件では、犯人を擁護するような言説が出まわりました。これは非常に危険な兆候です。
★テロ容疑者の生い立ちは伝えない方がいいのか 事件の背景を知る意味:朝日新聞デジタル
https://digital.asahi.com/articles/ASR5D4DRCR58UCVL017.html
わたしもコメントさせていただいている上記の記事にあるように、犯人の減刑を求める運動が起きました。また作家で芥川賞選考委員、法政大学教授の島田雅彦氏が、ネットの動画で「暗殺が成功してよかった」と驚くべき発言をして波紋が広がりました。
また多くのマスメディアでは、犯人の半生の屈折をことさらに取りあげ、「社会が悪いからテロリストになった」というような物語を付与するる報道が目立ちました。犯人は現行犯で逮捕された加害者であるのにもかかわらず、半生の物語の付与によって「被害者」として見られるようになる。
これはテロリストの英雄視につながり、さらには昭和初期の5.15事件がそうだったように、テロリストへの同情が集まることによってその後にテロ事件が続発するきっかけを作りだしてしまいます。実際、今回も岸田首相襲撃事件を引き起こしてしまいました。
なぜマスメディアは、このようなテロリストの「物語化」を行っているのでしょうか。今回はこの問題について、歴史を振り返りつつ考察します。入口は、1960年代末の学生運動。その中でも、いまでも英雄視されている重信房子氏が率いた日本赤軍についてです。
1960年代後半、大学生を中心として革命のうねりが巻き起こった時代がありました。
日本では当初、この運動は大学の学費値上げ運動などのかたちで盛り上がったのですが、やがてベトナム戦争や日米安全保障条約への反対という大きな話にだんだんと広がっていきます。ところがテーマが拡大するとともに、運動は徐々に過激になっていって、大学のキャンパスを椅子や机といったバリケードで封鎖し、ヘルメットをかぶり、「ゲバ棒」と呼ばれた角材を手にするようになります。さらには投石や火炎ビンで、警察の機動隊と激しくぶつかり合うまでになっていきました。
こういう中から、「武装闘争」という路線を選ぶ運動体が現れてきます。それが赤軍派です。この赤軍派が、一部はよど号ハイジャックを実行し、一部は日本赤軍としてパレスチナでテロ活動を行い、そして残りの一部は凄惨な連合赤軍事件を巻き起こしたというのが歴史的な事実です。
赤軍派の戦略は、おおまかに単純化してしまうと、二つの軸から成り立っていました。ひとつは、銃による武装を選んだということ。彼らはそのために交番や銃砲店を襲撃し、さらには奪った銃で郵便局や銀行に強盗に押し入って、活動資金を調達したのです。
もうひとつは「世界同時革命」です。これはひとつの国だけで革命を成し遂げることは不可能であり、さまざまな国で同時に革命を起こして、世界中に革命を広げていかなければならないというものです。当時は日本は高度経済成長の末期で、「昭和元禄」などという流行語も生まれたぐらいに、社会は新しい富に酔っていました。そういう中で革命を起こすというのは絵空事であるというのは運動をしている若者たちの側もよくわかっていて、だからこそキューバや北朝鮮、中東といったアジアアフリカの
「いずれは革命が起きそうな土地」「紛争が勃発している土地」と連帯しなければ、革命など見えてこないと考えられていたのです。
この二つの軸のもとに、赤軍派は武装します。そして海外へと出て行くことを夢想しました。ここから、赤軍派は三つの方向に分かれます。最初のグループは、故田宮高麿氏を中心とする「よど号犯」と後に呼ばれるようになった人たち。彼らは「北朝鮮にわたって世界革命の本拠地にするのだ」と考えて日航機「よど号」をハイジャックし、ピョンヤンにわたりました。いまも彼らの一部は北朝鮮で暮らしています。
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