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【渡辺勝幸4654号】昭和53年宮城県沖地震の風景が私の最古の記憶

渡辺勝幸の日本一元気になるメールマガジン
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  渡辺勝幸の日本一元気になるメールマガジン  第4654号 令和5年6月12日(月)発行   発行部数 11,454 部 【昭和53年宮城県沖地震の風景が私の最古の記憶】 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【昭和53年宮城県沖地震の風景が私の最古の記憶】 昭和53年6月12日17時14分に、 宮城県沖で発生したM7.4の地震、いわゆる 「宮城県沖地震」 から、今日で45年の月日が流れました。 最大震度5、死者は28名、負傷者1325人、 建物の全半壊7,400戸、停電70万戸、断水7,000戸、 ライフラインが停止し、当時の50万人以上の大都市が経験した 初めての都市型地震災害ともいわれています。 この地震を受けて、3年後の昭和56年に建築基準法が改正され、耐震基準を強化、 以後、わが国の建物は、震度6強以上の大規模地震でも倒壊しないレベルが前提となりました。 ちなみに仙台駅の新幹線ホームで流れるご当地ソング、さとう宗幸「青葉城恋唄」は、 この地震直前にリリースされ、復興応援ソングとして当時大ヒットしたのだそうです。 私の人生最初の記憶は、この宮城県沖地震です。 自宅前で近所の人たちが炊き出しをやっていたような風景をなんとなく覚えているのですが、 当時のかつゆきくんは3歳でした。 弟は当時7か月。 地震発生直後、家でハイハイをしていた弟は、 偶然倒れたタンスの隙間にいて助かったそうで、 私と弟は無事でしたが、母は足を大けがしたと聞いています。 母をはじめみなさんのおかげで、私たち兄弟も無事だったわけですが、 この地震で尊い命が失われ、特にブロック塀の下敷きになった児童が多数いたことは、本当に悲しいことです。

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  • 【仙台発!】政治家であり起業家である渡辺勝幸の日刊メルマガ。9年以上、3,500日以上連続でメルマガを書いています。政治経済の裏事情、起業家、経営者向けのおトク最新情報を、独自の視点と素早く貴重な情報で、意識の高い経営者、ビジネスパーソンに毎日お届け。1通20円ですが、得られる情報はメディアにないものとなります。失業、起業、震災、選挙落選、そして当選とここ数年波乱万丈な人生を送っている筆者が、東北の真の復興のための活動報告も。著者は宮城県議会議員(仙台市若林区)44歳。起業集団株式会社つくる仙台経営(起業支援、創業スクール事業)、東北大学大学院講師。
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