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聖地学講座第264回「縄文時代の終焉と風景健忘症」

レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」                 vol.264 2023年6月15日号 □■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ◆今回の内容 ○縄文時代の終焉と風景健忘症 ・縄文から弥生へ ・風景健忘症 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 縄文時代の終焉と風景健忘症 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━  しばらく前から、縄文時代が大きなブームになっています。2018年7月に東京国立博物館で開催された特別展「縄文―1万年の美の鼓動」には、主催者の想定をはるかに超える35万人以上が来場しました。その後の同様の展示会にもたくさんの人が詰めかけて、その人気は相変わらず続いています。  地球環境の破壊が切実な問題となっている今、自然とうまく共生して1万年もの長きに渡って続いた縄文時代を賛美し、その環境に適合した生活スタイルや思想を学ぼうという気持ちは良くわかります。またそれはとても価値があることだと思います。しかし、縄文時代を極端に理想視し、縄文人を理想的な生態系の守護者として崇めても、現代が抱える地球環境の問題がすぐに解決するというものでもありません。  先日、とあるオンラインのミーティングで、熱烈な縄文ファンの方がいて、熱心に縄文時代の素晴らしさを説かれていたのですが、それは現代人が勝手に想像した理想の縄文像とでもいえそうなもので、もはや「縄文教」です。そもそも、縄文人は淡々と日々の生活を当たり前のように送っていただけでしょうから、今、ここに当の縄文人がいたとしたら、神聖視されても当惑したでしょう。  この講座では、縄文人の生活スタイルや彼らの世界観、そしてその信仰や心性について今まで何度か考察しましたが、今回は、理想郷にも思える縄文文明がどうして消滅したのか、縄文時代が終焉して農耕文化を主体とした弥生時代へと移行した経緯はどのようなものだったのか、文明論的な視点から考えてみたいと思います。  歴史はリニアに進み、通り過ぎた歴史を再現することはできないのが現実です。様々なファクターが重なって崩壊した文明を仮に再現できたとしても、また崩壊の憂き目に合うのは目に見えています。ですから、失われた文明や叡智を理想視するのではなく、ドライに、その崩壊の仕組みを考えることも必要だと思うのです。  文明が崩壊にいたる過程に関しては、参考文献にもあげたジャレド・ダイアモンドの『文明崩壊』に詳述されています。そこでは、古代から現代までのある期間に栄華を極めながらも、最終的に崩壊した文明の崩壊への要素が5つに絞られています。 1.環境被害: 過度な農業、過剰な伐採、土壌の浸食、水資源の枯渇など、人間の活動による環境の損傷。 2.気候変動: 自然の気候変動や人間による気候変動(地球温暖化など)。 3.近隣の敵対集団: 敵対的な隣人との関係が緊張を引き起こし、戦争や侵略につながる。 4.友好的な取引相手: 交易パートナーとの関係が断絶され、必要な資源へのアクセスが失われる。 5.環境問題への社会の対応: 社会の価値観、構造、政治的選択などが、上記の問題に対する適切な対応を阻害する。  この5つの要素は、相互に関連し影響し合うため、一つの要素だけが原因となることは少なく、通常は複数の要素が組み合わさって文明崩壊を引き起こします。また、それぞれの地域や民族の特性によって、それぞれの比重も変化します。

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  • レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
  • 聖地と聖地を結ぶ不思議なネットワーク"レイライン"を長年追い続けてきたレイラインハンター内田一成が、聖地の成り立ちから、人と聖地の関係、聖地の科学を解説。聖地の作り方まで考察していきます。「パワースポット」という現象も、主観にとらわれず、多角的に分析していきます。また、各回、実際のフィールドワークのこぼれ話などもご紹介します。
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