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渡辺勝幸の日本一元気になるメールマガジン
第4658号 令和5年6月16日(金)発行
発行部数 11,452 部
【主将たるもの、身と道を一体に】
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【主将たるもの、身と道を一体に】
およそでいうならば、道はわが身の本尊であり、
わが身は道の伽藍、すなわち仏殿であって、道が安置されている場所であります。
どんな大伽藍があったとしても、
本尊が安置してなければ伽藍ということができず、
どんなに有難い本尊であっても、
これを水に流し火に投げこんでしまえば、
灰となり、泥に埋まってしまうだけであります。
それ故に本尊を守るには伽藍よりよいものはなく、
道を守るにはわが身よりよいものはありません。
道がわが身と離れるようなことになると申し訳ないのは、
あたかも本尊と伽藍との関係に似ています。
しかしくわしく論ずるならば、以上の問題に止まらず、
この身がもし道を離れたならば、耳・目・手・足は少しも役に立たなくなり、
その動作すべて道理にそむき、
これを君子から見るならば、その様子は少しも狂人と違いがないのです。
ですからもしこのような人間を登用して一国の政治を執らせたり、
全天下の政治を執らせたりするならば、
一国・全天下みなそれに化せられて、
狂国・狂天下で外国の外道・邪魔の侵攻を防ごうとするならば、
これはまことに危険なことである。
それ故に人々は、道がその身から離れぬように、
狂人とならぬように心掛けなければなりません。
さらにこのことを守城の問題にあてはめて考えるならば、
主将たるものが道から離れてしまうと、将吏も士卒も、堅固な城や堀も、
兵器や食料も、すべて役に立たないのです。
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