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高野孟のTHE JOURNAL Vol.605 2023.6.19
※毎週月曜日発行
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《目次》
【1】《INSIDER No.1211》
日本的リベラルとしての「民権思想」を遡る・その1/
安藤昌益から始めましょうかね
【2】《CONFAB No.571》
閑中忙話(6月11日~17日)
【3】《FLASH No.519》
バイデン大統領の重大発言をスルー…日本の大メディア
は米中対立を望んでいる?/日刊ゲンダイ6月15日付
「永田町の裏を読む」から転載
■■ INSIDER No.1211 23/06/19 ■■■■■■■■■■
日本的リベラルとしての「民権思想」を遡る・その1/
安藤昌益から始めましょうかね
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本誌No.1207(22年5月22日号)で「保守vsリベラ
ル」の図式に付いて論じた。冷戦が終わって「保守vs革
新」の図式が壊れた後に、次は「保守vsリベラル」だと
言われ出したものの、宇野重規が言うように保守とリベ
ラルは必ずしも同次元での対抗概念ではなく、しかもど
ちらの言葉も余りに多義的で誤解もされやすく、なかな
か胸にストンと落ちるような座標軸が描けない。
そこでこれを一旦、「国権vs民権」と置き換える方が
分かりやすいのではないか、というのが1995~96年当時
の旧民主党結成過程での議論だった。ところがさらに考
えてみると、民権がリベラルの言い換えなのではなく
て、リベラルが民権の一時的な言い換えだったのではな
いか。つまり、明治以来の思想的・政治的な対抗軸とし
ては「国権vs民権」が本源的であって、戦後冷戦期の
「保守vs革新」というのは、その歴史的な一時期に全世
界的な「米国盟主の西側自由陣営=資本主義」vs「ソ連
盟主の東側共産陣営=社会主義」というイデオロギー対
立が外から持ち込まれたことで「国権vs民権」が歪曲さ
れてハレーションを起こしていただけなのかもしれない
という仮説が成り立つ。
そうだとすると、冷戦が終わり「保守vs革新」が崩れ
たためによく分からない「保守vsリベラル」の図式が突
如出てきたのではなく、本来の「国権vs民権」に拠り戻
ったのである。ところが、そもそもそれが本来だとは思
っていないので、「保守vsリベラル」という何やら全く
新しい対抗的な観念が出現したかのように思い過ごして
しまったのではあるまいか。
しかし、本誌のその号でも述べたように「歴史の教科
書では、薩長中心の維新が成功して藩閥政府が出来、た
ちまちのうちに「大日本帝国主義」に突き進んで破滅
し、しかし戦後もまた大日本経済主義で成功して、とい
う国権側からの勝利の歴史が描かれているが、実はこの
裏側には、保守リベラル的な公武合体&開国論や民衆リ
ベラル的な植木枝盛らの自由民権運動、中江兆民の民約
論と小日本主義、美濃部達吉の天皇機関説、北一輝の社
会主義、吉野作造の民本主義=社会民主主義、石橋湛山
の小日本主義、鈴木義男の平和憲法草案など、民権主義
の連綿たる歴史があった」のである。
とすると、民権の今日的有り様としてのリベラルの中
心であるべき立憲民主党が「中道」などというタワゴト
を吐いて自民党への擦り寄り度合いを維新や国民や公明
などと競い合うという愚行に出ているくらい見当違いの
話はない。そうではなくて、明治以来の民権的な思想と
政治の闘いの全歴史を受け継いで、民権の今日版として
のリベラルとはこういうことなのだと柱を立て直すので
なければならない。
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