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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第516 号2023. 6.13配信分
●皆、いつまでマスクで顔を覆っているの?
技術の進歩によって時代は移り変わって行く。時の流れに身を任
せて漂っていると、ほとんど無意識になりかねない。ここは何とし
ても踏ん張りたいところだが、人々の大半は深く考えることもなく
日常に埋没してシンプルな振る舞いに陥りがちだ。
一歩戸外に出ると、当然のように顔をマスクで覆う姿が溢れる。
道行く人のあまりの一律さに「気は確かか?」正直尋ねたくなる。
不自然きわまりないその姿に不気味を覚えるのは私だけだろうか?
人それぞれで構わないと思う。しかし思い起こして欲しい。ほんの
4年前にはなかった光景だ。
日本人は付和雷同の民だというが、ここまで手の平を返されると
さすがにげんなりする。そこまで人目を気にしてどうする。違和感
を抱く私がおかしいのだろうか?
それが単に島国ゆえか日本社会の歴史や伝統のなせる技なのか。
詳しいことは分からないが、皆と一緒を安心材料とする人が多数派
を占める(と私はは感じている)現実とたぶん無縁ではない。
誰が咎めるでもなく自分で決めたことなので、おいそれと改める
わけには行かないということだろうか。" 空気を読む" ことに腐心
し、理屈より気分が優先する。今に始まった話ではないが、異論を
認めないこの風潮(空気?)はいつからのものだろう。
ウィルスは肉眼では捉えることができない。技術の進歩がもたら
した比較的新しい概念であるのは間違いない。電子顕微鏡サイズだ
と知り、ウィルスと市販マスク素材(繊維の『サイズ』)の関係を
正しく理解していれば、倫理的な意味しか持たないことが分かる。
一般に市販されているマスクは飛沫感染を防ぐ手段に過ぎない。
科学的思考では答えは明らかなはずだが、『ウィルス』という言葉
で抽象化されたことにより状況が一変した。新聞/TVという既存
(商業)メディアは部数や視聴率という利益を生む”素材”として
捉えた観がある。善悪を超えて営業に励んだという他ない。
事実として政府は、TVを中心とするメディアを介してマスクの
効能を広報したが、現実社会は理屈より”皆と一緒”であることを
正義と断じていた。多様なメディアに慣れ親しんでいればリテラシ
ーの持ちようもあったが、長く続いた『新聞/TVの情報空間』へ
の信頼感は揺るがない。
今なお続く現状は、”今まで通り”を望む人々の保守性とともに
既存大手メディアが(営利目的で)文字や音声で印象操作した結果
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