■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第517 号2023. 6.20配信分
●人事の結果としてあった『サラリーマン社会』
EVネタを続ける。この場合、現在から過去に遡る倒叙法という
文章作法が最適だろう。前号では、カルロス・ゴーン元日産代表取
締役会長の”功績”まで振り返った。同氏のNRP(日産リバイバ
ルプラン)におけるハイライトは、もちろん日産が抱えていた有利
子負債を前倒しで解消する一方で黒字化したことにある。
その手法は非採算部門の廃棄に象徴されるコストカッターぶりが
注目されたわけだが、これは日本メディアお得意の『上から目線』
の結果と見ていい。視点は”日本の常識”がベースであり、それと
は決定的に異なる「合理性」に基づく方法論を用いたことが話題と
なった。資本主義経済なら当然の血を流す改革であり、系列化によ
るしがらみや温情ではなく、プロの経営者ならではの判断に責任を
取る姿勢の結果だった。
それが、戦後日本のサラリーマン社長を頂点にした『誰も責任を
取ることをしない』社会構造の結果だったことは明らかにしておく
必要がある。責任を取らない社会の起点は、戦後の高度経済成長を
支えた官僚機構による”計画経済”的な構造に始まる、と思う。
端的に言えば、エリートが計画したプランを年度を区切って遂行
し、前例を積み重ねながら結果を残して行く。この場合、仮に誤り
の前例であってもプランは熟考を重ねたものとして不問に付される。
戦後確立された『サラリーマン社会』は人事の結果としてあった。
敗戦によって旧来の日本経済を担ったエスタブリッシュメントは一
掃され、それに代わった若い世代が新たな時代を築く。創業精神に
溢れる彼らの一部は際立って優秀で、その企業は今なお続く巨大事
業に発展しているが、創業者のパーソナリティを核にしたフォーマ
ットを引き継ぐ二代目以降はサラリーマン化して行く。
前例踏襲が価値判断の基準であり、基本的に自らは責任を取るこ
とをしない。その最たるものは、一度登用されたら”失敗を犯さな
ければ”罷免されることがない官僚だろう。それが国だろうが地方
自治体であろうが、いわゆる公務員は職制ではなく身分として捉え
られ、一度手にすれば安泰が約束される。
結果として蔓延る『ことなかれ主義』は、戦後日本社会を特徴づ
ける”様式美”となった。官僚が主導する計画経済は、ほぼゼロか
らの復興となった時代感覚にマッチした。
朝鮮戦争、日米安保条約に伴う闘争、経済優先が招いた環境悪化、
インフラや技術の未熟による”交通戦争”、オイルショック、自動
車排ガス規制、とどめとなった円高/ドル安を容認するプラザ合意。
この記事は約
NaN 分で読めます(
NaN 文字 / 画像
NaN
枚)