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佐々木俊尚の未来地図レポート 2023.7.3 Vol.762
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【今週のコンテンツ】
特集
アウトサイダーに憧れ美化する物語を、マスコミは現代も量産し続けている
〜〜〜日本の学生運動の歴史から、テロ報道のありかたを考える
未来地図レビュー
佐々木俊尚からひとこと
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■特集
アウトサイダーに憧れ美化する物語を、マスコミは現代も量産し続けている
〜〜〜日本の学生運動の歴史から、テロ報道のありかたを考える
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戦後日本の大衆文化は、アウトサイダーに憧れる文化でもありました。象徴的な作品をひとつ挙げましょう。1975年の映画「祭りの準備」です。黒木和雄監督、江藤潤主演。昭和30年代の高知・中村市を舞台に、いつか上京して脚本家になろうと夢みる若い信用金庫職員が主人公です。
息子を愛する母親に上京を猛反対され、生活にプライバシーはなく、主人公は田舎の生活の何もかもにうんざりしています。挙げ句に憧れていた彼女(竹下景子)を都会からやってきた労働運動の男に奪われてしまい、都会へのコンプレックスも募っていきます。
終盤、主人公は田舎を捨てることをついに決意し、とっておきのスーツをおろし、大事に飼っていたメジロを鳥かごから解き放ち、自転車で村を出て駅へと向かいます。このシーンで実に良い演技をしているのが、原田芳雄演じる年上の友人。真っ黒に日焼けして粗野で、しかしどこまでも明るい。しかしその彼は強盗殺人を犯し、逃走の身になっているのです。
21世紀の映画なら、強盗殺人犯に観客を感情移入させるような演出などあり得ないかもしれません。しかしこの作品での原田芳雄は、圧倒的にカッコいいアウトサイダーなのです。
ラストシーン近く、主人公との会話を引用しましょう。
「おれは東京に行くだぜ」
「え、東京? なにしに」
「とにかく出ていくがじゃ。誰にも言わんと、おふくろにも言わんと、飛び出してきた」
「そうか、東京か。ずいぶん思い切ったな」
「こうするより、しょうがないがじゃ」
「そうか、東京かあ。ええのう。ええわ。ワシみたいに戻りとうても戻れんもんがおると思えば、ワレみたいに飛び出していくもんもおるちゃ。みょうなもんでのお」
そして動き出す列車を追いかけながら、原田芳雄はは両手を振り上げて「バンザーイ、バンザーイ」と叫びます。上着を脱いで大きく振り、列車が見えなくなるまで叫び続けるのです。
彼の「ワシみたいに戻りとうても戻れんもん」というセリフは、まさに彼がアウトサイダーであることを示しています。共同体に戻ることも許されず、外部にはじき出された人たち。はじき出され、排除されているがゆえにカッコいいのだという1970年代当時のアウトサイダー観がよく現れています。
それがどういう意味なのか、解説していきましょう。
1945年に戦争が終わり、戦前の伝統的な社会は崩壊しました。戦後の混乱期にはアナーキーな若者たちがたくさん現れ、権威や古い価値観を否定し、大人には理解不能な「光クラブ事件」「オーミステーク事件」などを引き起こしました。光クラブは、東大の学生が経営していたヤミ金融。「エリートの東大生が!」と社会に衝撃を与えました。後者は、日大職員だった19歳の少年が、同じ大学の職員給料輸送車を襲って現金を強奪し、日大教授の娘である18歳の恋人と逃げ回った事件です。ついに逮捕された時に恋人に向かって「オーミステーク!(しくじった)」
と叫んでこう呼ばれるようになりました。
いずれも当時の大人たちの目には、無軌道で無責任で奔放な犯罪に映り、戦後混乱期に現れたこのような若者たちはアプレゲール(戦後派)と呼ばれました。「アプレ」と侮蔑的に呼ばれたのです。
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