INSTITUTE OF SUCCESS TECHNOLOGY JAPAN 第758 JULY 09 2023発行
“明日死ぬかのように生きよ、永遠に生きるかのように学べ!”
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明日死ぬかのように生きよ、永遠に生きるかのように学べ! マハトマ・ガンジー
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⇒ 「伊達正宗は、食道癌で死んだ!!」
最後まで「伊達者」だった独眼竜・伊達政宗
お洒落で粋な振る舞いをする人のことを俗に「伊達者」というが、この言葉は戦国武将・伊達政宗に由来するものであることはよく知られている。
豊臣秀吉が天下を平定する勢いで小田原城の北条を攻めている時に、この戦に加勢するかどうか、もし参加しなかったら次に滅ぼされるのは、お前の番だ!と東北の雄である伊達正宗は秀吉に脅された。
これはマズいことになりそうだと、他陣営に大きく遅れを取りながらも、急ぎ小田原の戦場にいる秀吉の元へ馳せ参じる。
その時の、伊達の服装は・・・なんと鎧兜ではなく、真っ白な着物での死装束であった。
私をこの場で斬り殺すなり、なんなりとこの命を秀吉殿にお預けしますという強烈なアピールである。
それでも、秀吉に無慈悲にもムチで何度も叩かれながら、屈辱にぐっと耐える。
こうして、生き残り策はなんとか奏功するが、間もなく秀吉が死ぬと、徳川家康の時代が来る。
伊達はすかさず、自分の長女「五郎八(いろは)姫」を、家康の六男である松平忠晃と結婚させる。
現代にまで伝わる政宗に関する話には、人生をうまく立ち回ることが可能な生まれ持った才能を感じることができる。
そんな政宗であるが、関ヶ原の戦い(1600年)以降、どのような人生を送ったのだろうか。
調べてみると、政宗はその後も伊達者として生きていたことがわかる。
たとえば、参勤交代が制度化されたときのこと。
三代将軍・徳川家光が、諸大名を前にして、「今後、諸氏を家臣として遇する」とのたまうと、家光の前に躍り出たのが政宗だった。
そして政宗はいう。
「命令に背く者あらば、この政宗に討手を仰せつけられよ、即座に踏み潰して見せよう」と。
こうして家光の心をグッとつかんだ政宗は、家光から何挺もの鉄砲を与えられたのだった。
そのほかの大名は、「伊達中納言の申す通りに候」と、政宗の言いに従うしかなかったのだ。
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