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高野孟のTHE JOURNAL Vol.608 2023.7.10
※毎週月曜日発行
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《目次》
【1】《INSIDER No.1214》
江戸中期の「忘れられた思想家」安藤昌益/日本的リベ
ラルとしての「民権思想」を遡る・その2
【2】《CONFAB No.574》
閑中忙話(7月2日~8日)
【3】《FLASH No.522》
衆院解散は本当に「首相の専権事項」か? 始まりは吉
田茂の「憲法第7条」歪曲解釈だった/日刊ゲンダイ7
月6日付「永田町の裏を読む」から転載
■■ INSIDER No.1214 23/07/10 ■■■■■■■■■■
江戸中期の「忘れられた思想家」安藤昌益/日本的リベ
ラルとしての「民権思想」を遡る・その2
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自由民権運動が歴史の上ではっきりと姿を現したの
は、明治7(1874)年の板垣退助らによる「民撰議員設
立建白書」の発出からのことで、ここから自由や人権の
保障を織り込んだ憲法の制定や議会の開設、地方自治の
確立、地租の軽減、不平等条約の改正などを求める大衆
的な運動が全国に燃え広がる。
それが最も盛んだったのは明治11(1878)年から同14
(1881)年のかなり短い期間で、安在邦夫はこれを「高
揚期」と呼ぶ(『自由民権運動史への招待』)。確か
に、この時期に判明しているだけでも2000を超える政治
結社が津々浦々に誕生し、開明派の士族やそれから転じ
て教員、記者、代言人などになったインテリ層、富も力
も蓄えて村のまとめ役になっていた豪農、神官・僧侶、
医師などのほか、10代後半から20代そこそこの農村青年
たち、人夫、車夫、女性、芸者、被差別民、博徒など多
様な人々が学習会や演説会を開き、国会や選挙のあり方
を論じ、憲法の草案まで書き上げて発表し合った。
●美智子妃の民権賞賛論
美智子妃が2013年、79歳の誕生日の談話で、この1年
で最も印象に残ったことは? と問われた中で、次のよ
うに語ったのは衝撃的だった。
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