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【町の活力の謎】半世紀前にあった「石切さん」の恐怖の絵!既に無くなっていましたが…地域にはその記憶がしっかりと刻み込まれていました。

藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~
 過日、縁あって、大阪にある神社、「石切さん」に行って参りました。 「石切さん」とは、大阪の東大阪の生駒山の麓にある、正式名称「石切劔箭(つるぎや)神社」。石切さんは、当方が奈良県の生駒に住んでいた子供の頃、お正月になると必ず祖母(久江おばあちゃん)に連れてもらっていた神社。石切は大阪なのですが、我々の生駒駅からトンネルを越えた一駅「隣」の駅ということもあり、初詣には必ずお参りに行っていたのでした。 当方が幼稚園から小学生の低学年、中学年くらいまでは、お正月になると、大晦日の深夜前から生駒山の宝山寺に初詣にでかけ、一日には、近所のお地蔵さんと生駒神社にでかけ、三日には電車に乗って石切さんとその隣の平岡神社に出かける、ということを毎年やっていました。 この全てに久江おばあちゃんは子供の当方を連れて行ってもらっていったわけで、当方は勝手にこれを「五カ所参りだ~!」なんていって毎年毎年楽しみに初詣に出かけていました。 そんな五つの神社の中でも、石切さんだけは特殊な神社でした。 子供の当方にしてみれば、なんだか、とてもおどろおどろしい神社、だったのです。

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