■「伝え方」には原則がある
伝わる文章にならない最大の原因は「伝えるべきこと」をひとこと
で言えないことだ。文章を書くからには必ず「伝えるべきこと」が
あるはずだ。それを一言でこたえられることが大事だ。
文章では、構成や言葉づかいなどの工夫、すなわち「書き方のうま
さ」で伝わるかどうかが決まるかのように思われがちだ。だが、
「うまさ」が最重要な課題ではない。
それよりも大事なことは、書き手が「伝えるべきこと」を明確に意
識できていることだ。それができていれば、なにを書くべきか、ど
う書くべきかが判断でき、必要な情報の見きわめるもできる。
少しくらい表現が雑でも、構成が整っていなくても、盛りこむべき
情報が盛りこまれた文章になりやすい。だから、伝わりやすくなる
のだ。
書き手が「なんとなく」としかわかっていないことは、いくら言葉
を尽くしても伝わらない。自分がはっきりわかっているから、はっ
きり伝えることができるのだ。これが伝え方の基本だ。
★
コミュニケーションは、必ず何かを媒介する。文字なら、紙やデジ
タルデバイス上などに表示された言葉や文章だ。話すなら、声とし
て発した言葉や話がその役割を担う。
なにかを伝えるコミュニケーションは、すべて「伝え手」が伝える
事柄をいったん表現し「受け手」がそれを見聞きする、という2段
階のプロセスを経る。
別のいい方をすれば、伝えるコミュニケーションは「表現する」と
「見聞きしてもらう」という2つの行為から成り立つ。コミュニケ
ーションの橋はひとつではなく2つあるのだ。
★
伝え手としては、伝えるからには受け手との間にコミュニケーショ
ンを成り立たせたい。ところが、この「第2の橋」を伝え手自身で
架けることはできない。
伝え手が、考えを自分なりに「表現する」すなわち第1の橋を架け
たとする。だが、受け手が聞いてくれるかどうか、すなわち第2の
橋が架かるかどうかは別の話だ。
「話を聞く」という行為は、伝え手が強制することはできない。仮
に強制的に聞かせることができたとしても、真剣に聞くかどうかは
受け手次第。受け手が決めることだ。
ほとんどの伝えるコミュニケーションは、受け手がある程度の時間
や労働力、注意力などを割き、読んだり聞いたりしてくれなければ
「納得」はおろか「理解」してもらうこともできないのだ。
にもかかわらず、伝え手にできることは、表現するところ、すなわ
ち第1の橋までだ。受け手の関与、第2の橋を確実なものにするこ
とはできないのだ。
つまり、伝えるコミュニケーションの主導権は、伝え手ではなく受
け手にあるのだ。ここに伝えることの難しさ、伝えるコミュニケー
ションの構造的な課題があるのだ。
★
自分が伝えたいことを伝えてはいけない。受け手が受け入れるの
は、伝え手が「伝えたいこと」でなく、自分が「伝えられたいこ
と」だ。
そして、当然のことながら、伝え手の「伝えたいこと」と受け手の
「伝えられたいこと」は、必ずしも同じでない。「伝えたいこと」
を伝えても、受け入れられない可能性が高いのだ。
このように、伝えるコミュニケーションを構造から考えれば「伝え
たいこと」を伝えても、相手にすんなり伝わらないのは、当然のこ
とだということがわかるはずだ。
「伝わる」ようにしたいなら、ひとことで言い現わす時点で、「伝
えたいこと」を、受け手が納得し、あわよくば共感するような「伝
えられたいこと」に変換しておく必要があるのだ。
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