□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.266
2023年7月20日号
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆今回の内容
○神も仏も…廃仏毀釈で失われたもの
・牛頭天王からスサノオへ
・天王と天皇
・皇室と仏教
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
神も仏も…廃仏毀釈で失われたもの
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
前回は、宗教儀礼に見られる共同主観もしくは虚構といったものを、夏越の祓や大祓における茅の輪潜りの儀式を例に取り上げました。
茅の輪潜りは、蘇民将来神話をモチーフにしたもので、ここに登場する神はスサノオですから、そのスサノオを祭神とする八坂神社や素鵞神社こそが、この儀式が行われる正統な場ともいえる…そのように私は書きました。しかし、それも宗教史的な観点からすれば、まだ稚拙というか浅はかともいえる表現だったことに気づいた方もいるのではないでしょうか。
茅の輪潜りの由来は、前回書いたとおりで間違いないのですが、そもそも八坂神社や素鵞神社の祭神がスサノオであるという部分に問題があるのです。それは、明治政府による祭神の挿げ替え、あるいは付け替えともいえるもので、その背景には明治初期に行われた神仏分離政策とそれにともなう廃仏毀釈がありました。
前回は、茅の輪潜りを引き合いに出して、今行われている儀式について、その意味を考えたほうがいいと記しましたが、じつはそのもう一歩先があったのです。その儀式が、いつ、どのような形で行われるようになったのか、そして、神社に関していえば、現在の由緒にある祭神は、いつから祀られているものなのか、そこまでクリティカルに見通すと、神社を取りまく風景がいささか変わって見えてくるのです。
少々意地悪な構成となりましたが、前回を「前振り」として、今回はさらに、スサノオという祭神の成り立ちについての掘り下げ、明治政府が行った神仏分離政策とその実態、影響について概観してみたいと思います。。
この記事は約
NaN 分で読めます(
NaN 文字 / 画像
NaN
枚)