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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第521号2023.7.18配信分
●テクノロジーによって変化する人間社会はナマ物だ
日本の路上の景色は、日本国憲法が起点になっている。藪から棒
に聞こえるかもしれないが、まずは原点を明確にした上で頭を切り
替える必要がある。現在の日本社会は、大戦を無条件降伏で終えた
(1945年)後に築かれている。戦勝国の思い通りに国家の”基本”
となる憲法が制定され、その公布から76年という長きに渡り一度も
改正されることなく続く。自主憲法制定の機運もままならない。
この間、社会は大きく変化した。21世紀も改まって23年、技術の
進歩は目覚ましく、私らが子供時分とはまったく異なる世界が眼前
に広がっている。言うまでもなく日本は法治国家だが、施行からま
ったくの手つかずでやってきた世界的にも稀な憲法を堅持している。
そして今もなお、この基本法を中心に日本社会は運営されている。
法治国家なので当然だが、人間社会はナマ物でありテクノロジー
によって変化する。私は戦後の高度経済成長に沸く昭和時代で目の
当たりにし、世界が大きく変わる世紀末から新世紀に至る平成の30
年を経て現在の令和5年を生きている。20歳の成人から半世紀50年
を肌感覚で理解している。
齢71、古希プラス1歳と書くと完全なる老人であり、50年前なら
ただのお爺ちゃんとしか思わなかったに違いない。だが、いざ自分
がなってみると71は唯の数字でしかなく、気分は21歳のクソ生意気
な自分と変わらない。身体はそれなりに草臥れたポンコツで、気力
を損ねる割合は日々高まっているが、アップデートを意識しながら
経験知を重ねることは常に意識している。
技術と科学の進歩はそれまでの常識を打ち破る。アップデートを
怠る者は変化を阻む勢力に陥りやすく、その力や数の多さを背景に
に今まで通りであろうとする。既得権益がパワフルなのは、それに
あやかる層が網の目のように多岐にわたり、マインドフルネスのよ
うに人々の意識に深く入り込んでいるからだ。
●現在の商業マスメディアに期待できるものは何もない
事実を明確にしないほうが損得勘定として見合う。中国がしきり
に真似たがる『共同富裕』という発想の原点に、情報を過剰になら
ない密度に操作する日本社会の特殊性があるが、大陸と島国や専制
主義と民主主義の違いは決定的だ。日本は中国ではないし、中国も
また日本たり得ない。当たり前だが、国情はそれぞれ異なっている。
格差は至る所で拡大し、当事者によっては辛い立場を実感するこ
とになるが、70年以上固定化された憲法の枠組(戦後昭和の高度経
済成長を支えた尺度)に当てはめればどうということもない。昭和
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