□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
レイラインハンター内田一成の「聖地学講座」
vol.267
2023年8月3日号
□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆今回の内容
○異界=死後の生について
・異界のイメージ
・異界とシャーマニズム
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
異界=死後の生について
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
「今ね、着物姿の小さな女の人が、味噌を持って、そこにいたんだよ」。90歳になる私の母が、先日、急にそんなことを言いました。母は数年前に脳梗塞を起こし、その後、転倒して大腿骨を骨折して、今は車椅子生活なのですが、頭は明晰で、少し耳は遠いものの会話も普通にできます。ですから、母のそんな話には現実感があります。
その話を聞いてすぐに思い出したのは、祖母のことでした。身長が140センチほどしかなかった祖母は、いつも身綺麗にして着物を着て家事をしていました。「きっと、おふくろのことを心配して、おばあちゃんがでてきたんだろうな。お盆も近いし」と、私が言うと、母はすぐに得心し、「そうだ、おばあちゃんだ。間違いないよ」と言って大笑いしました。
母は、病気をしてから幻影のようなものを見るようになったわけではなく、若い頃から同様のことがありました。長患いしていた人が、急に母の前に現れて、深々とお辞儀をしてふっと消えてしまったと思ったら、そのタイミングで亡くなっていたり、家族の怪我や病気を予知するようなこともありました。
俗な言い方をすれば、「霊感がある」ということなのでしょうが、母にとっても周囲の家族にとってもそうしたことが頻繁あったので、それが特別なことであという意識もありませんでした。ですから、妹も、味噌を持って祖母がやってきたという話に、「お盆が近いからね」と私とまったく同じ反応をしていました。
私が子供の頃は、両親が共稼ぎだったこともあって、いつも祖母と一緒で、お盆になると、祖母と二人でナスとキュウリに折った割り箸で足をつけて精霊馬を作り、辻で迎え火を焚き、お盆が終わればまた辻まで行って送り火を焚いたものでした。そんな風習も、祖母が亡くなってからはすっかり忘れられてしまいましたが。
「そういえば、今年はYが32歳だから、おばあちゃんの三十三回忌だったね」と妹が言います。姪のYは祖母が亡くなった月に入れ替わりのように生まれたので、彼女の歳がそのまま祖母の回忌でわかりやすいのです。その姪は、お盆前に都内の白山のほうに引っ越しますが、そこは、祖母が100年以上前に看護学校に通うために上京し、看護婦の仕事をしながら住んでいたところのすぐ近くでした。姪は、彼女の曾祖母がそのあたりに住んでいたことなど知らず、街の風情が懐かしいような気がして引っ越すことにしたようですが、それも考えてみれば不思議です。
今回は、そんなこともあり、お盆も近いことですし、「異界」について、とくに人間が死後生ということをどのように考えてきたのかをテーマにしてみたいと思います。
●異界のイメージ●
冥土、彼岸、あの世、極楽浄土、天国、地獄、死後の世界、この世ならぬところ……人は、太古から異界を様々にイメージしてきました。この世での生を終えた人の魂はそんな異界へと向かい、そこには人ではない神々や鬼、霊、妖精なども棲んでいると。
この記事は約
NaN 分で読めます(
NaN 文字 / 画像
NaN
枚)