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高野孟のTHE JOURNAL Vol.612 2023.8.7
※毎週月曜日発行
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《目次》
【1】《INSIDER No.1218》
公武合体による民選議会開設の構想こそ明治維新の本筋
だったのでは/「民権思想」を遡る・その3
【2】《CONFAB No.578》
閑中忙話(7月30日~8月5日)
【3】《FLASH No.526》
米国の「RKJ現象」は基地問題を解決に導く可能性もあ
る/日刊ゲンダイ8月3日付「永田町の裏を読む」から
転載
■■INSIDER No.1218 23/08/07 ■■■■■■■■■■
公武合体による民選議会開設の構想こそ明治維新の本筋
だったのでは/「民権思想」を遡る・その3
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前回(No.1214「江戸中期の『忘れられた思想家』安
藤昌益」で、江戸期のどのような思考実験や行動体験の
堆積が明治期早々のあの自由民権運動の爆(はじ)ける
ような展開を生んだのかの脈絡はよく分からないので、
脈絡の問題は抜きにして、カール・マルクスより115年
前に生まれ125年前に死んだ江戸中期の突出的な共産主
義/平和主義/エコロジー/農本主義の思想家である安
藤昌益のことを取り上げた。その狙いは、確かに彼自身
は突然変異的にさえ見える異形の知的多面体であるに違
いないけれども、少なくともそのどこか一面に拮抗した
りそれを継承したりした思想や行動は、我々の偏見や蒙
昧のせいで視野に入っていないだけで、すでにかなり豊
かで柔軟な江戸中・後期のプレ近代とも言うべき江戸文
明社会には色々な形で出現していたのではないかーーだ
から昌益はむしろそうした江戸期の知的豊穣の象徴だっ
たのかもしれないということを問題として提起しておき
たかったことにある。
●消し去らなければならなかった赤松小三郎
安藤昌益より126年後に生まれ105年後、つまり1867
(慶応3)年の9月、薩長による王政復古クーデターの
僅か3カ月前にテロリスト=中村半次郎によって37歳に
して斬殺された赤松小三郎という幕臣政治家がいる。彼
は、安藤とは違って、維新をめぐる政治的激動の直接当
事者であり、しかもその数多くの当事者たちのワン・オ
ブ・ゼムというのではなく、公武合体による平和的な政
体転換と民選議会の創設を軸とした立憲主義国家の樹立
を構想し提言しその実現間際まで工作を進めていたキー
マンに他ならなかった。
赤松の死を転機として、薩摩=島津久光と土佐=山内
容堂による公武合体を目指した薩土盟約が破棄され、坂
本龍馬≒グラバー商会≒英帝国主義が画策した薩長同盟
による武力倒幕論が一気に主流に躍り出ることになっ
た。その結果が、薩長藩閥によるテロリスト国家=明治
政府の樹立に他ならない。従って、安藤は(前号に述べ
たような事情で)単に「忘れ去られた思想家」であった
のに対して、赤松は薩長藩閥にとって「消し去らなけれ
ばならなかった政治家」なのである。
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