《あれから、たった12年》
そういえば、先日、読者様からいだいたメールで、
ブログを 2011年頃から読まれてくださっているということが
書かれていたものがありました。
それを見まして、
「2011年…」
と、ふと思い出しましたが、それは東北の震災のあった時で、
私自身が非常に変化した年のひとつだったのですが、
それから、たった10年ほどでコロナの時代に入り、
「そのままワクチンの時代」
に入ったのだなあと、つくづく思います。
たった 10年で、こんな時代になったという…。
2011年3月11日の地震の直後からですが、
自分でもほとんど意識しない「自動筆記的な殴り書き」が連日続きました。
最初は、震災3日目の以下の記事あたりからですかね。
「宇宙と対等である人類」そして「日本人」について毎日考えていました。
・自分の宇宙の中で: 東京 DAY4 (2011年03月14日)
https://x.gd/wYB7H
・生命の真意 (2011年03月14日)
https://x.gd/Dislk
そのあたりの日から、何週間も、ほぼ時事にはふれず、
(というか、テレビのニュースもネットのニュースも見ませんでしたので、
時事がわからなかったのです)
曖昧な観念を書き続けていました。
テレビのニュースは、半年以上は見なかったですね。
今は天気予報は見ますが、当時は天気予報も見ませんでした。
ところで、上にリンクした「生命の真意」という記事での前半では、
日常のことを書いているのですけれど、いろいろ思い出しますね。
これから先も、何か起きた場合、
ある程度は同じことが起きるのだと思います。
2011年3月14日の東京杉並区は以下のような感じでした。
(2011年3月14日のブログより)
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「3月14日 杉並区の光景」
午前中に街の中を見ましたら、昨日ともさらに変わっていました。
ついに、「店に何にもなくなりだした」のです。
コンビニはたまに弁当やおにぎりが入るのですが、
缶詰やカップ麺といったものはすべて売り切れ。
ドラッグストアやスーパーも同じです。
他に、電池、ロウソク、携帯カイロ、ティッシュ、トイレットペーパー、
ジュース類などはほとんど消えていました。
また、節電営業で、電気もあまりついておらず、
薄暗い店内に何の食べ物もないという、
以前見たジンバブエのハイパーインフレーション下のスーパーの写真と
あまり大差のない状況が出現していました。
若い人たちは比較的簡単に順応しているように見えましたが、
ご老人たちの多くは状況がまだ把握できていない方も多いらしく、
つまり、「今、あらゆる物資不足が自分たちの街、東京をも襲っている」
ことを想像していなかったようです。
スーパーに入って何もない状況に唖然とする人、
店員さんに「これじゃ困るのよ」と言ったりする人は皆さんご老人でした。
そして、ついに聞いたのは男性のご老人が店員さんに言っていた
「戦時中みたいになってきたね」という言葉でした。
https://x.gd/Dislk
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ここまでです。
この物資不足は数日で回復していくのですが、ものよっては、
回復が非常に遅いものもありました。
たとえば、「納豆」なんてのは、ずいぶん流通に時間がかかっていました。
納豆の生産地が大きな被害を受けたからだと思いますが、
他にも、「意外なものがなかなか復活しない」ということはありました。
地震でなくとも、今後も、似たようなことはまた起きるとは思います。
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