外資系金融が日本に本格的に上陸したのは、1984年のプラザ合意の後からである。
日本からの輸出攻勢に悲鳴を上げたアメリカが、なんとかしてアメリカの製造業を守るため、為替を各国の国力にふさわしい相場に調整しようと、ニューヨークのプラザホテルにG7の蔵相を呼び、そこからあれよあれよという間に円高が進んでいく。
それまで世間で注目を浴びることの少なかった為替ディーラーがテレビ画面に登場するようになり、まず外資系銀行のシティバンクなどが徐々に日本での採用を増やしていく。
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