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佐々木俊尚の未来地図レポート 2023.8.14 Vol.768
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【今週のコンテンツ】
特集
SNS時代にもっとも重要な文章術は「誤読されないこと」である
〜〜〜SNS時代の「日本語の作文技術」について考える(第2回)
未来地図キュレーション
佐々木俊尚からひとこと
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■特集
SNS時代にもっとも重要な文章術は「誤読されないこと」である
〜〜〜SNS時代の「日本語の作文技術」について考える(第2回)
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著名な朝日新聞記者だった本多勝一氏の1976年の著書「日本語の作文技術」。これは文章の書き方を教える本としては、名著中の名著といえるでしょう。この本の素晴らしいのは、詩情あふれる文学表現ではなく、客観的でわかりやすい論理的な文章をどう書けばいいのかということに徹して解説されていることです。
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しかもこの本の解説は、徹底的に構造的でロジカルです。ふんわりとした説明などまったくないのです。すべてがきれいに整理されて説明されています。これらをすべて守って原稿を書けば、見事なまでにわかりやすく客観的な文章が書けるのは間違いありません。この本が出てから半世紀以上、その後も大量に「文章術」の本が登場してきていますが、この本を超えるものはいまだありません。
とはいえ、わたしはこの本はあまりにも「構築的」すぎるのではないかと感じています。
1976年はインターネットどころかパソコンさえ普及しておらず、文字を読むのは紙の媒体のみでした。媒体の数は限られていたし、無料の媒体もほとんどありませんでした。読むためには本や雑誌や新聞を買わなければならなかったのです。つまり「文字を読む」という行為は、時間もお金もかかるものでした。
だから当時の人々は、文字を愛おしむようにじっくりと読みました。読み終えるのがもったいないぐらいの気持ちで、ていねいに読んだのです。そうしないと読むものがすぐになくなってしまったから。「活字中毒者」という言葉もあったぐらいで、手もとに未読の本や雑誌や新聞がなくなってしまった活字中毒者は、新聞の折り込みチラシの文面まで読んで、活字への欲求を満たそうとしました。いまの若い人は信じないかもしれませんが、そういう時代がたしかにあったのです。
「日本語の作文技術」はそういう時代の文章術です。愛おしむようにていねいに読んでくれる読者の気持ちに合わせて、文章もじっくりと書かなければならなかった時代です。そこで、構築的で厳密な文章術が求められたのです。
作家の故井上ひさし氏は、よい文章を書くというおこないは「過去と未来をしっかりと結び合わせる仕事にほかならない。もっといえば文章を綴ることで、わたしたちは歴史に参加するのである」と説きました。これも文章術の名著として知られる「自家製 文章読本」(新潮社、1984年)でそう書いています。
「ヒトが言語を獲得した瞬間にはじまり、過去から現在を経て未来へと繋って行く途方もなく長い連鎖こそ伝統であり、わたしたちはそのうちの一環である。ひとつひとつの言葉の由緒をたずねて吟味し、名文をよく読み、それらの言葉の絶妙な組合せ法や美しい音の響き具合を会得し、その上でなんとかましな文章を綴ろうと努力するとき、わたしたちは奇蹟をおこすことができるかもしれない。その奇蹟こそは新たな名文である。新たな名文は古典のなかに迎えられ、次代へと引きつがれてゆくだろう」
このような時代を超えていく文章こそが名文であり、わたしたちは名文を目指さなければならないのだという主張です。そして井上ひさし氏は、時代を超えていこうという気概が世の中から急速に失われていっていると嘆き、テレビをやり玉に挙げています。
それによると、テレビは1970年代ぐらいから「一回性」というものを重んじるようになったと言います。一回性は「ハプニング」とも呼ばれ、「視聴率はどかんと稼ぐが、放映そのものは一回こっきり、二度とは放映しない。それがテレビというものだ」いう思想で支えられているのだといいます。続けてこう書いています。
「書物に引きつけていえば<再読に耐える名作や名文なんていらないよ。読み捨てられ、忘れ去られてかまわない>というわけだ。一瞬大いに当って、ある時間すぎれば消えて失くなってしまった方がいいのである。時間を超えたい、いいものを作りたいなどというと『小狡いエリート趣味』『 嘘っぽい』『根暗、やーね』と一笑に付されてしまう」
井上ひさし氏がこの文章を書いたのは、1980年代前半。先ほども書いたように、このころまでは媒体の数は少なく、人々は活字を愛おしむようにしてていねいにじっくりと文章を読んでいました。文章は「時代を超えていくもの」だと皆が思っていたのです。
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