日刊 大石英司の代替空港
▲▽敗戦記念日に思う▽▲
台風のお見舞いを申し上げます。南関東も昨夜から強い雨が降ったり止んだりです。
※ (残響 78年後の「戦争」:1)妻子を殺されても、選んだ赦し 戦犯解
放した比大統領
https://www.asahi.com/articles/DA3S15714557.html
*憎しみ超え、日本人戦犯に恩赦/キリノ比大統領の信頼外交
https://www.jnpc.or.jp/journal/interviews/35192
*戦死した父の遺骨が眠る硫黄島。最期の壕で生還者は涙ながらに語った。「部
下の自分を守ってくれたんだ」 戦争の記憶
https://373news.com/_news/storyid/180187/
>鹿児島が中心の歩兵第145連隊が島で散った
これから敗戦記念日には、毎年同じ話をしようと思う。
敗戦記念日が近付いたことで、SNSではまた「英霊」という言葉を巡る論争が
ありました。私も「英霊」という言葉は使いません。南方で餓死し、特攻で無駄
死にさせられ、シベリアで凍え死んでいった兵士達は、これ全て無駄死にです。
われわれはそれが全て無駄死にだったことを永遠に記憶し、それを命じた者たち
の無能を断罪し、追求する義務がある。それが軍ヲタに課せられた使命でもある。
家族を日本兵に惨殺されたキリノ大統領を巡る美談には影もある。彼は日本兵
捕虜を次々と処刑し、日本に賠償での譲歩を迫り、ダレスから止められたという
話もある。それが事実かどうかは解らない。半分は事実でしょう。
しかし、彼が家族を日本軍に惨殺されたという事実は動かない。
何度も書いたように、私の祖父は戦争で死にました。殉職しました。大石家は
それで没落し、戦後苦労し、残された子供達は辛酸を舐めた。私と同じ歳の従姉
妹は、それで望む教育も得られなかった。その苦労は、私の世代まで続きました。
何度も、しつこく書くけれど、日本軍が帝国主義の真似事をし、中国大陸で暴
れ回り、フィリピンを戦場とし、さらに南洋に展開したことで、一家の大黒柱を
失い、途方にくれた何百何千万もの民衆がいたという事実を、日本人は忘れるべ
きでない。私には彼らの苦労の一端が解る。
もちろん、われわれはそれなりに謝罪もしたし、混乱したアジアを勃興させる
ことで、十分な戦後賠償もした。中国というモンスターすら育ててしまった。誰
に対しても、今更謝る必要は無い。
しかし昨今、SNSに見られるような、南京虐殺の否定論者(異様にレベルが低
いバカウヨたち!)たちを見ると、加害者としての日本の歴史が歪められていく
ことに怒りを覚えます。
戦後を超えて、われわれは今、新しい戦前に立っている。自らが望んだもので
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