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渡辺勝幸の日本一元気になるメールマガジン
第4718号 令和5年8月15日(火)発行
発行部数 11,450 部
【再録】高崎中学まで八キロ、一高で野球部マネジャーに
ー福田赳夫その2ー私の履歴書 保守政権の担い手
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「10年間の浪人生活は、大衆の中の人生修業だった」
(福田赳夫)
【再録】高崎中学まで八キロ、一高で野球部マネジャーに
ー福田赳夫その2ー私の履歴書 保守政権の担い手
昭和の偉人たちが何を考え、失敗にどう対処し、
それをいかに乗り越え、どんな成功を収めたのか、
日本経済新聞に掲載されている、
自伝コラム「私の履歴書」から
探ってみたいと思います。
保守政権の担い手であった昭和時代の政治家を中心に分析。
歴史から未来をつくっていきたいと思います。
『保守政権の担い手─私の履歴書』
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福田の祖父幸助は人望も厚く、
金古町の初代町長となり、
以後、父善治、兄平四郎もそれぞれ町長をつとめ、
福田家の「本業」は代々の庄屋、地主だったのでした。
福田は小学校を卒業し、高等中学校に入学しました。
金古町の小学校には同級生が五、六十人いましたが、
農村ということもあって、
高崎中学に進んだのは福田を含めて三、四人だけでした。
自宅から中学まで八キロ離れていましたが、
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