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小島嵩弘のメルマガ( 8/16 第 633号)

小島嵩弘のパウダールーム
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 「小島嵩弘のパウダールーム」(2023年 8月 16日 第 633号) ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 2023.8/16 8/6(日)の週は作詞作業が思うように進まなかった。 ぐだぐだダラダラ。YouTubeを見ては時間が大きく過ぎてしまったり、 はたまたネットからヒントが降りて来て急に作詞に向かったり。 ダラダラの中にも常に頭の中には作詞があるようで、 ヒントになる言葉やフレーズを探していないようで無意識の中で探していたり、 いつものことなんだけど方向性が決まるまではなんとも時間ばかりを食う日々だった。 作詞と芝居の演出を天秤にかけることがある。 それは両方の事を考える時、大きく違うなぁとよく思う。 芝居を創る時は、広く浅くいろいろなことを知っていて、それを場面場面で盛り込んだ方が、 芝居全体が派手になる感覚があった。 だけど作詞はその逆で1点を地球の中心に向かって掘り下げていくような感覚。 掘るべき小さい点が見つかったら、とことん掘って作詞を完成させるイメージがある。 丁度心の奥底を耳かきのようなもので奥まで突っ込み、行き止まりまで掘って、 その先の小さな感情を、耳を掻くあの感じでそっと掬って外に出すような、そんな感覚がある。 例えば運動というテーマで書くとすると、芝居の演出は、野球にサッカー格闘技、スケートスキーって、 色々な競技の特徴がわかっているとそういうのを散りばめる感じ。 作詞は競技を一つに絞る。例えば野球として、その野球をやっていた感覚、感情、 そして今思う感覚感情など繋ぎ合わせて一つにまとめる、そんな差が感覚的にある。 だから作詞の場合、自分が何を考えていて、どう思っているのか、常に自分と向き合う必要性があり、 自分の良いと思う面も毒的な部分もトラウマ的箇所も触って掘り下げて掬わなければ、 底の浅い作詞になる感じがしている。 自分と向き合うのはしんどい。 でもそれは日々をどう過ごしてきたのか?によるので、 過ごし方が良かったのか悪かったのかの判断がそこでつく。

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