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【隠岐で考える学問と実践/知性と身体:その2】 「森と石清水」の地である隠岐は、日本において重要な「神々の島」であった。

藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~
金曜に入った隠岐で四日間、ようやく京都に戻って参りました。前回のメルマガでもご報告差し上げましたが、ホントいろんな事が目からうろこ、な体験がありました。 そもそもその地では京都や東京での日常空間の完全に「外側」の時空が流れており、かの日常空間の内側にいると、何やら当たり前だと思われていることがいかに当たり前でないのかが、よくよく分かるように思いました。 今回のこの四日で、実に多くの「神社」に行って参りました。 隠岐には何度も来ているのが、ほぼほぼ釣り目的だったので、折角の隠岐滞在でもほとんど何も見て回っておらず、気付いていなかったのですが、隠岐というのはもの凄い数の神社があったのです。 よくよく考えれば、隠岐といえば、あの出雲大社で有名な古代・出雲の勢力圏。ですから神社が多くあるのも当たり前、なわけです。 正式に全国の神社のリストがまとめられたのは、西暦927年編纂の「延喜式神名帳」(えんぎしき じんみょうちょう)。その中には全国の2861の神社が掲載されています。で、その内の1割強の353社が、格式の高い「大社」で、残りの9割弱の「小社」と区別されています。 ただし、全国353の大社の約4分の3内の264大社が、都およびその周辺エリアである奈良や京都、大阪といった機内(および宮中と京中)の「大社」で、それ以外の全国各地(機外)にある「大社」はわずか89社しかありません。

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