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【隠岐で考える学問と実践/知性と身体:その3】 隠岐の経済・精神・宗教の発展と衰退は「交通」によって導かれた。

藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~
「隠岐」は、大海の中で外界から隔絶された離島に忽然と屹立する山々に、豊かで深い森と清らかな石清水を抱く地に、必然的に「神々」が宿る―――過去二回でそんな話しをいたしましたが、この地の美しく豊かな自然があるということだけが、古代日本で多くの神々が宿るに至った条件ではありません。 もう一つ重要な条件があります。 それは、その神々を「まつる」人々がこの地に生息することが必要です。 「神」というものは、自然と人々との融和によって現れ出でるもの。そこに人がいなければ、そこに「神」という概念は生まれ得ないのです。 そして、人々の活動が活性化されればされるほどに、その神々の力はより偉大なものとなり、人々の活動が衰退すれば衰退するほどに神々の力は衰えてしまう事になります。 ではなぜ、この隠岐の地に人が住み、ここが栄えたのか… それにはいくつもの条件があります。 第一にこの地が、古代において重要な交通の要所だったのです。 日本に人類が住み始めたのはおおよそ4万年前くらいのことと言われています。

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