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[中川八洋メルマガ]地球から消滅する日本、2035年(14)

筑波大学名誉教授 中川八洋メールマガジン
||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||| 筑波大学名誉教授 中川八洋メールマガジン 令和5年8月26日 通巻第29号 地球から消滅する日本、2035年(14) ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||| 日本国の滅亡と日本民族の絶滅は、共産党の八月「広島・長崎」“共産革命《雄叫び》大会“(偽装「追悼」)を禁止せず放置していることで不可避――1956年8月、日本共産党&KGBロシアは広島・平和祭を乗っ取り、ロシアの属領となった広島市  現在の広島平和式典の原点「広島平和祭」は、1947年8月5~7日に開催された。8月6日には、広島市長・浜井信三が平和宣言を演説した。彼は、そこで大東亜戦争を終焉させた“広島原爆”と“それを投下した米国”への感謝を述べた。これは、当時の九割以上の日本国民の心情であった。 「世界初の原爆によって、広島市は一瞬にして壊滅に帰した。しかしながら、これ(広島原爆)が(大東亜)戦争の継続(=本土決戦)を断念させ、不幸な戦争(日本の対英米蘭豪戦争)を終結に導く原因となったのは不幸中の幸いであった」 「この意味において、8月6日(の米国の原爆投下)は世界平和(第二次世界大戦の終結)を招来せしめる機縁をつくったものとして、世界人類に記憶されねばならない」(丸カッコ内中川)。  また、この広島・浜井市長のスピーチには、原爆で亡くなった者への追悼とか慰霊はなかった。広島・浜井市長は、ただ矢鱈に、「戦争終結、万歳!」を意味する「平和、平和、平和」を連呼しただけだった。原爆による戦災死者への慰霊は、1947年以降の全ての「広島市8・6集会」を通じて今に至るも、基本的に排除されている。  そのような広島の「平和宣言」は、さらに凶悪な政治運動へと転換していく。これは、共産党に簒奪されたからだ。この共産党の「広島市8・6集会」簒奪は、1947年から九年目の1956年に起きた。広島市長が共産党員・渡辺忠雄になったからだ。渡辺市長は、共産党の反核運動を大絶賛するのを演説の中核に据えた。具体的には、革命運動語「原水爆禁止」&“反・科学”語「被爆者」という、共産党語がこの広島市長演説から組み込まれたのである。 「(日本共産党がソ連とともに煽動・牽引している)原水爆禁止運動は、次第に力強い支持を得ており、ひいては永く十分な医療も受けえず相次いで斃れて行きつつあった(医学に違背する、完全に健康な)被爆生存者に対する救援も漸次軌道に乗りつつある」(丸カッコ内中川)。 スターリンの命令(1950年3月)で始まり、ビキニ水爆実験(1954年3月)で世界規模に拡大した日本共産党の原水爆禁止運動  私を含めて1950年代に小学生だった世代の日本人は、反核運動とは“日本共産党の、共産国の侵略戦争を勝利に導くための戦争応援”にすぎないと、正しい常識しかもっていなかった。原爆反対! などの幟やプラカードorその署名運動をするオバサンの襷には、必ず「日本共産党」の六文字が黒々と大きく書かれており(表1の第一行目)、小学生や小学生未満の眼でも、“反核運動は、極悪人・赤が騒ぐ、日本を害する悪い運動」なのは、明白だった。  また、当時の日本では、もう一つの常識「ポツダム宣言と広島原爆と昭和天皇が、日本に平和を到来させた、三つの“平和の神風”」は九割の国民に共有されていた。ために、日本に平和をもたらした広島原爆を、逆さにも悪と大書きした、「日本共産党」の幟をもったデモ行進を見ると、誰でも相当に強い嫌悪感を懐いた。怒りと吐き気を催す者もかなりいた。  私の体験を思い出すと、1956年4月だったか、赤い“日教組”教員から、教室で「原水爆には反対しなくてはいけません」と聞いた時には、「ヘ―、そんな不思議な考え方もあるんだ」と、実に怪訝で理解不能だった。他の良くできる男児生徒も同じで、「変なの」と呟いていた。  さて、表1の第一行目を、しかと読まれたい。反核運動は、共産国の侵略戦争を、日本共産党が幇助・促進する“戦争応援”運動なのだ。侵略戦争“応援”という反核運動は、今も、共産党の不動の方針。広島市長も長崎市長も、侵略戦争“応援”としての反核運動にしか関心がない。 表1;広島市を侵略・占領したロシア&“ロシアの犬”日本共産党

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  • 残虐に殺戮された“満州1945年”は過去ではない。二十年後に到来する一億日本人が阿鼻叫喚とのたうつ“日本列島2045年”の現実。縄文・弥生時代を含め父祖の墓が眠る日本列島に運命の生を授かったわれら日本国民は、民族の子孫に「盤石なる国防力」「潤沢なる黒字財政」「年250万人新生児数となる伝統的な家族制度」を残す世襲の義務を果さなければならない。「安泰な日本国領土」を子孫に相続すべく、敵国ロシアに奪われた樺太・北方領土・千島諸島の奪還は、我らは万が一にも逃避できない。 憂国の正しき日本国民よ、日本は、国家死滅の坂道を転がってもはや瀕死。が、諦念せず、国家再生に命も名誉も財産も捨てようではないか。
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