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□■【石原加受子】「原罪」は“つくられる” ■□

石原加受子の実生活に使える「意識の世界」お話
□■□ 石原加受子の実生活に使える「意識のお話」 □■□ 「自分中心心理学」は、自分を愛するための心理学です。 「自分を愛する」には、自分を核とします。 可能な限り自分の心に寄り添い、自分の心を裏切らない。 そして、自分の心を満たす。 そうなれば、自分の「願い」は、ストレートに叶います。 …………☆★☆★☆…………☆★☆…………☆★☆★☆………… □■【石原加受子】「原罪」は“つくられる” ■□ 「原罪」というのは、キリスト教の教理の一つです。 旧約聖書の創世記によると、アダムとイブが神の言いつけに反 して禁断の木の実を食べたことが原罪とされています。 この罪はアダムとイブの子孫である人間に受け継がれ、生まれ ながらにして罪を負っていると考えられています。 人間は元々、罪深いのか、そうではないのか。 「神」の概念にもよりますが、どんな神を想定するのかによっ て異なるでしょう。 例えば、神は、私たちに自由意思と創造性を与えた、という解 釈を土台とすれば、「罪」はなくなります。 どちらかと言えば「自由意意思」よりも、「自由意志」という言 葉のほうが好きです。 「意思」ではなく、「意志」。 この中には、まさに自分の「意志」が感じられます。 自分中心心理学は、この「自由意思と創造性」を原理としてい ます。 これを土台とすれば、「罪」はなくなります。 意志をもって選択する。 自分のその選択には、「罪」はない。 けれども、自分が自分の自由意志でそれを選択すれば、それに 対する「責任」が発生します。 私自身は、「罪」というよりは「責任」という言葉のほうが適切 だと思っています。 では、どうして私たちは「罪の意識」を覚えるのか。 「原罪」ではありませんが、人を傷つけたり不当な扱い方をし たりすれば、一般的には罪の意識が起こります。これは、罪の 意識というより、「悪かったなあ」といった良心の痛みですね。 なかには、人を平気で傷つけたり、残虐の限りを尽くしても、 罪の意識を覚えない人たちもいるでしょうが。 (ただ仮に罪の意識が自分の中にまったくないとしても、無意 識でもそれをまったく感じていないかというと、そうではありま

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  • 石原加受子の実生活に使える「意識の世界」お話
  • 記事内容は心理学からスピリチュアルまで、多岐に渡っています。無意識の世界からみると、あらゆることが、自分の心をあらわすものです。起こっていることは、すべて「自分を愛する」ための情報です。どんな悩みや問題であっても、無意識の世界からみると、理由があったり意味があったり目的があります。思考や言葉やイメージだけで自分を愛することはできません。実生活での経験こそが、自分を成長へと導いてくれるのです。
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