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渡辺勝幸の日本一元気になるメールマガジン
第4728号 令和5年8月25日(金)
発行部数 11,450 部
【秩序を整然と決定すればおのずと道の根本に】
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【秩序を整然と決定すればおのずと道の根本に】
本章もまた、前の両章をうけて、仁・智のいずれにおいても、
まずせねばならぬところ、いそがねばならぬところがあることを述べたものです。
本旨はここに述べるまでもありませんが、
これによって、また学問の要処をも理解すべきです。
近世、西洋の究理学を修めるものに、
孔子も日食を知らなかったといって聖人を誹ったり、
天動・地静の説によって『周易』の考えを批判したりするものがあり、
さらに儒学を学ぶものでありながら、
以上のような点を恥ずかしいと思うものが出る始末。
しかし、彼らの批判していることも、恥とするところも、
いずれも末節の小事であって、
それらが人の人たる道の上に、
少しも問題にならぬものであることは、同じであります。
今更いうもわざとらしいことでありますが、
道の根本とは何かというと、
人と生れた以上は、人の人たる理由を理解し、五倫、
すなわち君臣・父子・夫婦・長幼・朋友の道を明らかにし、
日本に生れたからには日本の根幹を知り、
長州藩士としては長州藩の根幹を知り、
それによって自身の立脚地を築き、
その上に立って、それぞれの職務に勤めること、これであります。
すなわち儒官は経書・史書を博くかつ精細に研究し、
天文家は天文を、地理家は地理を、
医家は医術を、画家は画法を修め、
また弓馬・刀槍・銃砲等の技芸を専門の家業としているものは、
さらにその精妙を究めるべく励み、その外、士は士、農は農、工は工、商は商、
みなその職務に勤めるのです。
このように大小の秩序が整然として決定したからには、
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