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「歴史上、いかなる植民地総督も征服者も、マッカーサーが日本国民に対して持つほどの権限はなかった。彼の権力は史上のものだった」

藤井聡・クライテリオン編集長日記 ~日常風景から語る政治・経済・社会・文化論~
8月15日は敗戦の日。敗戦の詔の玉音放送が正午から放送され、無条件降伏としてポツダム宣言を受諾した旨が、天皇陛下から国民に伝達されました。 これで日本政府は米国・連合国との戦いを辞めることを決定し、国民に通知したわけです。 その瞬間まで、おおかたの国民は「一億総玉砕」を想定し、本土での徹底抗戦を覚悟していたわけですが、この玉音放送で天皇陛下が「米国の降伏することとした、したがって、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んでもらいたい」と国民に直接に語りかけ、頭を下げるかのように依頼したことから、国民は戦うことを辞めざるを得ない、となってしまったわけです。 その結果、おおかたの日本人はもう、「頭真っ白」になってしまいまったのです。 そして、そんな茫然自失な状況で、マッカーサーがやってきて、日本を占領統治し、そのマッカーサーの命令によって、憲法をはじめとした戦後大改革が行われ、日本は「軍国主義国家」から「民主主義国家」に生まれ変わり、今日を迎えている---というのが、一般的な現代日本人の認識です。 そして、おおかたの日本人は「軍国主義」よりは「民主主義」の方がいいのであって、したがって、マッカーサーは日本にとって「悪い人」であるというよりむしろ、とても良いことをしてくれた「良い人」であると認識している節すらあります。 しかし、こうした歴史認識は、事実とメチャクチャに超絶に乖離したものであって、マッカーサーの実体は日本人にとってそんな「良い人」とは正反対の「悪い人」でしかないのです。

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