Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2023/09/04 第673号
_________
今週の目次
○「はじめに」
○「書くことで考える」
○「間違いと抽象化」
○「ノウハウのグラデーション」
○「セカイ系としての自己啓発」
○「おわりに」
_________
―――――――――――――――――――――――――
○「はじめに」
ポッドキャスト、配信されております。
◇ BC071 『会話の科学 あなたはなぜ「え?」と言ってしまうのか』 | by goryugo | ブックカタリスト
https://bookcatalyst.substack.com/p/bc071-d08
今回はごりゅごさんのターンで、『会話の科学』をご紹介いただきました。ごく平然と行っている日常的な「会話」も、科学的に分析してみると面白いことがたくさん含まれており、人間というのは実に高度な対応をしているのだなと関心します。
でもってそれは、システム2というよりはシステム1的な応答なのでしょう。
だからこそ、「会話」ではないやりとりもまた必要になってくるのではないか。そんなことを考えました。
〜〜〜ビジネス書の効果〜〜〜
日本では「あまた」という表現がぴったりなくらいにたくさんのビジネス書が発売されています。それこそ毎日のように。
それらの本は、ビジネスに関する何かしらを改善することを目的として書かれているのでしょう。少なくともビジネスを(あるいはその価値を)棄損するために書かれているわけではなさそうです。
ということは、ここまでたくさんの「改善」のためのアプローチが提出されているのだから、日本の"ビジネス"というものは5年前、10年前に比べてはるかによくなっているはずである、という推論を立てることはできるでしょう。
で、実際のところはどうなのでしょうか。
人間関係が円滑になり、作業は効率化され、プレゼンテーションは説得的で、新しい発想のもとイノベーティブな価値が次々と生み出されているのかと言えば、あまりそんな風には思えません。
ここから「だからビジネス書なんて意味がないんだ」と結論づけてしまうのは、いかにも短絡的でしょう。システム1です。
たとえば、私にはそう思えなくても実際は違うのかもしれません。具体的、実際的なデータの収集が必要です。また、仮に"ビジネス"の何かしらが改善されていなくても、別の何かしらは改善されているのかもしれません。ただ、その改善結果が具体的な数値として現れてこなかったり、外部者からは観察しにくい効果だったりすることは十分ありえます。
私が「思う」と「考える」という言葉で区別しているのは、上の二つの反応です。
目の前に揃った材料から「だからビジネス書なんて意味がないんだ」と結論づけるのは、「考える」ではなく「思う」です。そうした反応はかなり直感的に出ているでしょう。理路を使っているようでいて、高速で経験的な推論が働いているだけです。
その直感的な反応はごく自然に出てきます。止めようもありません。その上で「いや、まてよ」と疑義を挟むこと。それが「考える」を起動します。逆に、どれくらいたくさんのことを思いついたとしても、そこに「いや、まてよ」回路が挟まれていないなら、それは巨大な「思う」があるだけです。
この記事は約
NaN 分で読めます(
NaN 文字 / 画像
NaN
枚)