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日本経済凋落の真因を探る(第10回):半導体産業は何故衰退したか(その1) 辻野晃一郎のアタマの中【Vol.21】

『グーグル日本法人元社長 辻野晃一郎のアタマの中』~時代の本質を知る力を身につけよう~
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 『グーグル日本法人元社長 辻野晃一郎のアタマの中』  ~時代の本質を知る力を身につけよう~【Vol.21】 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【今週号の目次】 1. 気になったニュースから  ◆ アップルウォッチのバンドは汚い? 2. 今週のメインコラム  ◆ 日本経済凋落の真因を探る(第10回):半導体産業は何故衰退したか(その1) 3. 読者の質問に答えます! 4. スタッフ“イギー”のつぶやき ───────────── 2. 今週のメインコラム ───────────── ◆ 日本経済凋落の真因を探る(第10回):半導体産業は何故衰退したか(その1) 家電産業に続き、半導体産業について、2~3回に分けて振り返ってみると共に、今後を展望してみたいと思います。最初に、私と半導体との関わりを少し紹介しておきます。 ◇ 半導体との関わりの始まり 私がソニーに入社したのは、最初からソニーが第一希望ではあったものの、大学の同じ研究室出身の先輩がソニーの半導体部門に何人かいて、リクルーターとしてソニーに誘ってくれたのがきっかけにもなりました。 1984年にソニーに入社した時、私は当時厚木にあった「情報処理研究所」に配属されました。当時の厚木は、ソニーの先端技術開発の拠点としての位置付けで、半導体事業の拠点も厚木にありました。厚木に配属されてからの新入社員歓迎式典では、当時副社長で、今でいうCTOとして厚木のトップでもあった森園正彦さんや、専務取締役で半導体事業本部長であった河野文男さんがウェルカムスピーチをしてくれました(共に故人)。 河野さんは、「是非自分のオフィスに遊びに来てください」と厚木に配属された新入社員全員に呼び掛けてスピーチを締めくくりました。社交辞令でもあるでしょうし、新入社員の分際で普通は行かないのかもしれませんが、私はその言葉を真に受けて、厚かましくも当日か翌日に河野さんのオフィスをノーアポで訪ねました。 すると、タイミング良く在席していた河野さんは大歓迎してくれて、シリコンウェハーを片手にソニーの半導体事業について自ら詳しく説明してくれました。それ以来、河野さんには折りにつけてかわいがっていただきました。また、後に本社のR&D戦略部門に在籍していた時には、やはり半導体事業本部長を務めた高橋昌宏さん(故人)が、専務取締役として本社R&D部門のトップになられて大変お世話になった思い出があります。 ◇ 米国留学で本格的にLSIの設計を学ぶ 入社2年目に、ソニーの海外留学制度に応募して米国の大学に留学したのですが、留学先では半導体の設計を本格的に学びたいと考えていました。そこで、世界で初めて半導体設計を大学のカリキュラムに導入して有名だったカリフォルニア工科大学(Caltech)の大学院修士課程を第一希望に選びました。ノーベル賞受賞者も多数輩出している名門で、よく東のMITと並び称されますが、Caltechには、『Introduction to VLSI systems』という、LSI設計のバイブルとも呼ばれた教科書を書いたカーバー・ミードという高名な教授がいて、彼の授業や指導を受けたいと思ったからです。 またCaltechは、トランジスタを発明してノーベル物理学賞を受賞したウィリアム・ショックレーや、インテルを創業し「ムーアの法則」でも有名な、ゴードン・ムーアなども輩出しています。北カリフォルニア、サンフランシスコの南側一帯をシリコンバレーというのは周知の通りですが、南カリフォルニアのパサディナに位置するCaltechも、半導体を始め、テック産業の興隆を牽引した大学の一つです。近くには、もともとCaltechの研究機関として発足し、今はNASAの研究機関となっているジェット推進研究所(JPL、Jet Propulsion Laboratory)があります。 ただ、真偽のほどはわかりませんが、カーバー・ミードは大の日本人嫌いという噂があり、受け入れてもらえるかヒヤヒヤしていたのですが、運よく修士課程への合格通知をもらうことができました。当時のCaltechには、『ファインマン物理学(The Feynman Lectures on Physics)』や『ご冗談でしょう、ファインマンさん(Surely You're Joking, Mr. Feynman!)』でも有名なノーベル物理学賞受賞者のリチャード・ファインマンを始め、錚々たる学者が集まっていました。しかし、幸か不幸か、私が留学した年は、カーバー・ミードはサバティカルを取っていて不在で、その一番弟子だったチャールズ・セイツという教授がVLSI Designの授業を担当していました。 VLSI Designの授業は実習主体の苛酷なものだったのですが、私が最も驚いたのは、当時すでに MOSIS(MOS Implementation Service) という、学生が設計したLSIの実チップを、半導体メーカーが実際に試作して納品してくれる、という仕組みが整っていたことです。しかも、設計データを、当時のSunワークステーション上で作成して、それを指定された中間フォーマットに落とした上で、ネットワーク経由でMOSISの本部に送付すると、1ヵ月後位に試作されたチップが送られてくる、という実に使い勝手の良いものでした。 本部は近くの南カリフォルニア大学にあったようですが、Caltechでもこの仕組みが利用できるようになっていました。私も実際にこの仕組みを使って、実習で設計した回路の実チップを試作して入手するという貴重な経験を積むことができたのですが、教育環境における圧倒的な彼我の差(日米格差)を感じたものです。 留学からソニーに戻ってからは、この経験で感じた彼我の差を何とかしようと、「設計改革プロジェクト」という部門横断的なプロジェクトを立ち上げ、そのプロジェクトを通じて、デジタル回路設計やLSI設計をVerilogやVHDLなどのハードウェア記述言語で行なう取り組みなどに尽力しました。 ◇ サンディスクとの邂逅 それからしばらく後、私が本社R&D戦略部門の若手スタッフとして在籍していた頃には、こんなこともありました。 私は、将来的にハードディスクはシリコンディスクに置き換わるだろうと予測し、フラッシュメモリーの将来性に着目していたのですが、サンディスクという起業したばかりのベンチャーを見つけました。そしてこのサンディスクのことをいろいろと調べ上げて、同社への出資または買収を半導体事業本部に提案しました。サンディスクの創業者は、エリ・ハラリという気難しい元インテルのエンジニアでしたが、彼にも何度も会って、一緒にセコイア・キャピタルなどシリコンバレーのVCを回ったこともあります。 しかし残念ながら、当時のソニー半導体事業本部はなかなか煮え切らず、結局この話は流れてしまいました。その後、サンディスクは大成功してNASDAQに上場し、東芝とも提携しましたが、今はウエスタンデジタルの傘下に入っています。もちろん、エリ・ハラリはシリコンバレーで最も成功した起業家の一人になりました。 あの時に、ソニーがもしサンディスクに出資するなり買収するなりしていたら、その後のソニーの歴史も大きく変わっていたでしょう。また個人的にも、もしあの時にソニーを辞めてサンディスクに転職していたら、また全然違う人生を歩んでいたに違いありません(笑)。 ◇ 日本半導体の凋落 かつて日本では、「半導体は産業のコメ」と言われました。半導体は世界の戦略物資であり、――

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