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渡辺勝幸の日本一元気になるメールマガジン
第4742号 令和5年9月8日(金)
発行部数 11,448 部
【末端の小事にとらわれるな】
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【末端の小事にとらわれるな】
「三年の喪を能くせずして」云云。
重要な三年の喪(父母に対する喪)を行うことができずに、
三カ月のし麻や五カ月の小功という軽い喪の礼をうるさく論じたり、
飯をかっこんだり汁を流しこむような不作法の態度でありながら、
乾肉を歯でかみ切らぬようにと、末端の作法に気をつかうことは、
これこそまずすべき本務を知らぬものといわねばなりません。
孟子のこのことばも、よい譬喩であります。
今の世の人々は大きな目を持っていないので、
末端の小事にばかり目をつけてこれを議論します。
そしてこの弊害は、読書人の間にとくに甚だしいものです。
いったい、不忠不孝、不審不義は人にとって大罪であります。
しかるに彼らは、かえってこれを問題にせずに、
極論直言するものを不敬といい、
酒を飲み人を罵るとこれを狂気であるといいます。
もしも書物を講義するに当って、一言半句でも朱子の註にそむくと、
これを異端・雑学であるという。
天下・国家を憂えれば、これを蘇秦や張儀の仲間だという。
外国の侵攻を打払う策を論ずれば、
これを粗豪であるという。
しかるに彼ら自身の行動を見ると、
外観を飾り、ことばづかいを重々しくし、つまらぬことにばかり気を使い、
地方から善人と呼ばれるようにと心を砕き、
権勢家のもとに御機嫌伺いをし、
どんな諛いでも、自分を押し曲げて平然と行い、
剛直の態度は見えず、剛直の声は聞こえず、
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