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伏木悦郎のメルマガ『クルマの心』
第526号2023.8.22配信分
●今、書きながら始めて注目する視点に気がついている。
無謬性を基本概念とする前例(踏襲)主義。それはもしかしたら
徳川幕藩体制の要として振り返られる武士階級から延々と続く島国
日本ならではの『お家芸』であるのかもしれない。
遠く15~16世紀の中世は、世界史的には大航海時代として記録さ
れている。この時代の覇権国家として権勢を振るったのはイベリア
半島に位置するスペイン/ポルトガルであり、遙か太古の昔に栄え
たギリシャ/イタリアにはすでに勢いはなく、さらに北部のやがて
西欧を代表することになる英仏やゲルマンが台頭するには少し間が
あったとされる。
大航海時代は、まだ有望なエネルギー源としての化石燃料を使う
技術力はなく、専ら風力という自然エネルギーに頼る他なかった。
技術の進歩はまだ木造の帆船やそれを基本に考えられた航海術の革
新に留まっていたが、南北アメリカ大陸の発見と開拓の端緒はこの
頃に始まり、何故かアフリカ大陸やアラブ地域さらにはインドには
大きな爪痕を残すことはなく、東南アジアから東アジアへと関心が
移って行った。
今、書きながら始めて注目する視点に気がついている。世界史や
日本史をもっと強い関心を寄せていたら……と思わないではないが、
振り返ってみると戦後日本の義務教育においてそれらはおざなりに
された感がある。世界史とパラレルの関係でカリキュラムが組まれ
ていた日本史についても、世界史と絡めて論じられることは少なか
った気がする。
いや、戦前の明治/大正期の学校教育ではもっと突っ込んだ視点
を持っていたのかもしれない。初等教育においては江戸期の”読み
書き算盤”の延長線上に留まり、さらに高等教育に相応しい、ある
いはそれを必要とする頭脳と意欲を持つ人材のために大学に至る教
育課程が用意されていた。
行政を司る武家社会とその前提となる定住農耕の民の農民社会、
それらに対して様々なサービスを提供する商工の町人社会。俗に言
う『士農工商』という身分制度が現実に存在したかどうか。これを
怪しむ声も聞かれる今日この頃だが、率直に言って、私としてはこ
の歳になって「必ずしも歴史として学ぶ過去」を疑う必要を感じて
いる。誰が歴史を語り伝えて行くのかを考えると、自ずと教育の都
合でなされるものとは異なることに気づかされる。
もっと早く分かれば良かったが、浅学非才の身としてはこれでも
精一杯。大方は考えることもなく消え去ることになると思えば、ま
あこれはこれで面白い。
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