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日本経済凋落の真因を探る(第12回):半導体産業は何故衰退したか(その3) 辻野晃一郎のアタマの中【Vol.23】

『グーグル日本法人元社長 辻野晃一郎のアタマの中』~時代の本質を知る力を身につけよう~
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 『グーグル日本法人元社長 辻野晃一郎のアタマの中』  ~時代の本質を知る力を身につけよう~【Vol.23】 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【今週号の目次】 1. 気になったニュースから  ◆ ソニーフィナンシャルグループの新しい顔 2. 今週のメインコラム  ◆ 日本経済凋落の真因を探る(第12回):半導体産業は何故衰退したか(その3) 3. 読者の質問に答えます! 4. スタッフ“イギー”のつぶやき ───────────── 1. 気になったニュースから ───────────── ◆ ソニーフィナンシャルグループの新しい顔 昨年6月から、SMBC日興証券の社外取締役を務める縁ができ、それ以来、金融業界のニュースにも敏感になっているのですが、今年の金融業界の人事情報で最も驚いたのは、遠藤俊英 元金融庁長官が、ソニーフィナンシャルグループ(SFGI)の代表取締役社長兼CEOに就任した、というニュースでした。 ソニーグループは、5月に開催した2023年度経営方針説明会で、SFGIの株式上場を前提としたスピンオフの検討を開始すると発表しており、遠藤さんの舵取りに注目が集まっているということで、9月14日のNIKKEI Financialに、遠藤さんのインタビュー記事が掲載されました。 今回は、『スピンオフはチャンス 金融にもソニーの物語』と題したそのインタビュー記事の中から、遠藤さんの発言をいくつか拾ってみたいと思います。 遠藤さん:「ソニーが米プルデンシャル社と合弁の生命保険会社を設立したのは1979年。そこに至るまでには、盛田がシカゴのプルデンシャル社のビルに憧れを抱いたことに始まるストーリーがあるのです。お客の人生設計に携わるライフプランナー主体の営業は、それまでの生命保険の売り方とはまったく異なるモデルでした。プレイステーションやミュージックと同じように、ソニーの金融の中心であるソニー生命にも誕生物語があるのです」 ソニーがまだ駆け出しの1950年代、ソニー創業者の1人である盛田昭夫さんは、米国のシカゴを訪れた際に、「Prudential」というロゴを掲げた白亜の高層ビルを仰ぎ見て、その豪勢な佇まいに驚いたそうです。そしてその時に、「金融業というのは随分と儲かるものなんだな」と感じて、それ以来、「いつかソニーも自前の金融機関を持ちたい」という夢を胸に秘めたといいます。 それが、後にソニーが生命保険を皮切りに、銀行や損保などを含めた金融の分野に参入した最初のきっかけだったという話は、私もソニー在籍時代に聞いたことがあります。実際、このエピソードは有名で、ソニー社史として公開されている『 源流 』の中でも紹介されています。 盛田さんは、いきなり銀行を作りたかったようですが、規制が厳しくて一旦あきらめ、かつて憧れたプルデンシャルと合弁でソニー・プルデンシャルという生命保険会社を日本に作りました。盛田さんが、ソニー側でそのソニー・プルデンシャルの立ち上げを託したのが安藤国威さんでした。安藤さんは、私がVAIOパソコンを担当していた時期の直属の上司で、後にソニーの社長になりました。 安藤さんから直接聞いた話ですが、安藤さんは最初この話を断ったそうです。すると盛田さんから、「金融はすごいぞ。君は金融の第一人者になれるんだよ。挑戦したらどうだ。You have nothing to lose(君が失うものは何もないだろう)」と熱く説得され、ついに観念して引き受けたそうです。 安藤さんは、プルデンシャル側が送り込んできた坂口陽史さん(故人)という人と一緒に、何日も泊まり込みで議論を重ね、どうせやるなら、人のやらないことをやるというソニーのDNAに則り、これまでにないまったく新しい形の生命保険会社を作ろう、と意気投合して大いに盛り上がったそうです。そして新たに生み出したのが、「ライフプランナー制度」というものでした。2人がまだ30代の時だったと聞いています。 2人は、ソニー・プルデンシャルの存在意義(今でいうパーパス)は、「生命保険のあるべき姿の追求と生命保険業界の変革」であると定めました。その上で、――

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