「やりたいことを見つける」と「なりたい状態を目指す」の違い
こんにちは、けんすうです。いつもがんばっています。
というわけで、こんなマシュマロが来ました。答えます!
けんすうさん、物語思考拝読させていただき、例に漏れずスキップしたワークを現在絶賛実行中です(笑)
この本を読んで、真っ先に対極だなと思ったのが八木仁平さんの「世界一やさしいやりたいことの見つけ方」という著書でして(拝読されたことございますか??)、その本の中の論理も納得いく箇所もあり、それについてのけんすうさんの反論を聞かせてください。具体的に以下のものです。
①炎タイプのポケモンが草タイプの技を覚えるのは難しいように、自分の適性に合わないことをしようとするのは非効率。過去の自身の思考の癖などから自分の長所を抽出してそれに沿わせるべき。
(↔︎現時点での能力で向き不向きを考えるのは時期尚早とするけんすうさんの考えと反対)
②やりたいことが見つからないのは行動量が足りないからという人が多いが、正しい自己理解ができていないから。とりあえずやる、となっても選択肢が膨大すぎて選べないし、他人の言うこれをやるべき、で判断しても結果に繋がらない「べき」を進んだ場合、そこに意味を見出せなくなる。ましてや、変化の早く先を見通しにくいこの時代にやるべきと言われていることをやるのはナンセンス。自分の中で、「好き」だと思えることを「得意」なやり方で「大事なこと(自身の価値観、社会に与えたい価値観の2軸)」のために行動する、という状態を作るべき。
(↔︎「泳いだことない人が泳ぎが好きかわからないよね?」というように、とりあえず行動しよう派のけんすうさんとやはり反対)
③いつまでも将来のために生きるのではなく(将来のためにとりあえずプログラミングやるとかはやめよう的な)、今やりたいからやってる状態を作ろう、努力は夢中には敵わないよね、という意見。
(↔︎10年後の理想像のため、今やるべきことをやる、という物語思考の真逆な気がします)
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